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    1.イスラエル・パレスチナ編 (15)ヨルダン川

    • 2011.10.12 Wednesday
    • 09:32
     
        ヨルダン川はヘルモン山(標高2,814メートル)などの連なるア
     ンチレバノン山脈やゴラン高原(シリア高原)などに端を発し、
      途中ガリラヤ湖となって北から南へと流れ、ヤルムーク川・ヤボ
      ク川・アルノン川などの支流をあわせて死海へと注ぐ延長425キロ
      メートルの河川である。主としてヨルダンとイスラエル・パレス
      チナ自治区との国境になっている。また、乾燥地帯における貴重 
     な水資源となっている*。
      イエスがヨハネからバプテスマを受けたとされる場所は、ヨルダ
     ンつまりヨルダ
    ン川の東岸にあり、西岸のイスラエルではない。聖
     書にも【
    TEV】“All this happened in
    Bethany on the east side of    
      the Jordan River, where John was baptizing."  (
    John1:28

    と明記されBethany beyond Jordanと呼ばれている。このバプテス
    マ・サイトについて
    は、「2.ヨルダン編」で詳しく紹介する。し
    かし、同じヨルダン川でバプテスマを受け
    ることに意味があると考
    える人も多いらしく、イスラエル側(西岸)でもガリラヤ湖よ
    り少
    し南に下ったヨルダン川の適当な場所をバプテスマ・サイトに仕立
    てあげ、観光客
    にバプテスマを施す所があった。ここでは10ドル出
    せば希望者にバプテスマを施して、
    証明書を発行してくれる。

    (写真1)
     

    (写真1)がそのバプテスマ・サイトで、それらしい雰囲気のあ
    る場所が選ばれてい
    る。

    (写真2)
     

    (写真2)はバプテスマを待つ人たちを撮った写真で、実際この
    ようにイスラエル旅
    行記念にバプテスマを受ける観光客も多くある
    ようである。この写真の壁面にずらりと
    並んでいるのは各国語で書
    かれたマルコ
    1911のタイル板である。

    (写真3)
     

    上記タイル板の代表的な一例を(写真3)に示す。19 その
    ころ、イエスはガリラ
    ヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハ
    ネから洗礼を受けられた。
    1
    10 水の中から上
    がるとすぐ、天
    が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧に
    なった。
    1
    11 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたし
    の心に適う者」という声が、天から聞
    こえた。)

    (写真4)
     

    (写真4)はバプテスマの申し込みを受け付ける場所で、みやげ
    ものにガウンやヨルダン川の水を買うことも出来る。

      *出典:ウィキペディア

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%AB%E3%83%80%
    E3%83%B3%E5%B7%9D
    2011.6.23.閲覧)


     
     

    1.イスラエル・パレスチナ編 (14)カファルナウム

    • 2011.10.11 Tuesday
    • 18:41
     

    カファルナウムはペトロ召命教会から車で約5分の距離にある。
    ここはシリアから来る道と王の道とが出会う交易の重要地点で、当
    5万人が住む大きな町であった。人が多く集まるため、イエスは
    この町に住み、ここを伝道の拠点とされた(マルコ
    2112
    カファルナウムとは、ヘブライ語の「クファル・ナフム」からきて
    おり、“慰めの村”という意味である。旧約聖書には記されておら
    ず、恐らくバビロン捕囚以後に建てられたユダヤ人の新しい町だろ
    うと言われている。ペトロの家もここにあり、イエスはここでペト
    ロの姑の熱病を癒された(マタイ
    81415。当時、カファル
    ナウムはヘロデ・アンティパスの領地とフィリポ・カイサリアを中
    心とするフィリポの領地の境に位置するので、交易税を徴収する税
    関があった。徴税人マタイは、ここでイエスに声をかけられ、弟子
    の一人になっている(マタイ
    99

    (写真1)
     

    (写真1)は敷地の入り口にあるペトロのブロンズ像。等身大の
    1.5
    倍ほどの大きさで右手に鍵を持ち足下には魚が居て、土台部分に
    (マタイ
    1618「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわた
    しの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
    16
    19
    わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐ
    ことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天
    上でも解かれる。」)
    が刻まれている。

    (写真2)
     

    (写真2)はカファルナウムの案内板で、上部の写真の右下方向
    にあるのがシナゴーグ跡、左上に見える円形の跡がペトロの家であ
    る。

    (写真3)
     

    (写真3)は紀元3世紀頃のものと思われるユダヤ教会堂(シナ
    ゴーグ)の跡である。 この建物はもともと石灰岩造りの2階建て
    で、1階は男性が、2階は女性が祈る場所となっていたらしい。現
    在は2階部分はなく、屋根近くにあった数々の彫刻だけが、通路に
    沢山並べられていた。

    (写真4)

    (写真5)
     

    (写真4)はシナゴーグ跡の内部、(写真5)は(写真4)の隣
    の部屋である。

    (写真6)
     

    (写真6)はシナゴーグ跡からペトロの家の方向を見た写真であ
    る。向こうに見える建物は
    1990年代初期にペトロの家の遺跡上に建
    てられた教会である。この町でイエスはペトロの姑の熱病を癒され
    たり、百卒長の息子の病を癒されたり、イエスの衣にさわった女性
    の病を癒されたり全部で8つの奇跡を行っておられる。この中で最
    も印象に残るのは中風の人が、屋根を破ってイエスの前に吊りおろ
    され、癒された話である。

    (写真7)
     

    (写真7)は教会の土台部で船が2艘十字に交差した形の宙に浮
    いた構造になっている。中央の円形の基礎の部分が中風の人が吊り
    降ろされて来た場所で(ルカ
    519)、上にある教会内部でも中央
    部がガラス張りになって、この基礎部が見えるようになっている。

    (写真8)
     

    (写真8)は上に建てられた教会の入り口である。

    (写真9)
     

    内部は(写真9)のようになっていて右手の奥が祭壇である。中
    央部に囲いがあってガラス張りにしてあり、植木鉢がおいてある。

    (写真10) 

    (写真10)は中央部の上から下をのぞいた写真で、先ほどの円形
    の基礎部分が見える。従って、このあたりから中風の人が吊り下ろ
    されたと考えればよいだろう。ガイドによれば、イエスは少なくと
    も1年半の間、ここに住んで居られたということであった。教会の
    まわり、シナゴーグ周辺にも多くの住居跡が認められた。

    (写真11)

     (写真11)は教会から敷地入り口の方向を見た写真で、遠くにペ
    トロの像が見える。左手の通路に沿って、遺跡から発掘された彫刻
    等が展示されている。なお、この教会の横からも、ガリラヤ湖がき
    れいに見えた。

    1.イスラエル・パレスチナ編 (13)ガリラヤ湖

    • 2011.10.11 Tuesday
    • 17:18

     (写真1)

    ガリラヤ湖は周囲53キロメートル、南北に21キロメートル、東西
    13キロメートルの大きさであり、166平方キロメートルの面積を
    持つ。最大深度は
    43m。海抜マイナス213mで、湖としては死海
    (マイナス
    418m)につぐ海抜の低さである。ローマ帝国統治時代
    に用いられた呼び名に由来する「ティベリアス湖」とも呼ばれる。
    伝統的には「ガリラヤの海」など「海」と呼ばれることもあった
    が、純粋な淡水湖である。ガリラヤ湖という名前は、湖があるガリ
    ラヤ地方に由来している。航空写真で見ると(写真1)のように竪
    琴に似た形をしている「ルカによる福音書」51では「ゲネ
    サレト湖」とも呼ばれている。ゲネサレトとは湖の西側にある平原
    地帯の名であった。「民数記」34:11「ヨシュア記」1327 
    では「ギネレト湖」とも呼ばれている。ガリラヤ湖の湖岸には周回
    できる道路があり、車で1時間余りで一周出来る。

     


    (写真2)

     既述の「ペトロ召命教会」からガリラヤ湖までは歩いて出られ
    る。(写真2)はペトロ
    召命教会から見たガリラヤ湖で沢山の観光
    客の姿がある。

    (写真3)

    (写真3)は波の穏やかなガリラヤ湖の渚で、水に手を浸して
     みたが、
    6月なので冷た
    い水ではなく、それほど透明度の高い水で
     もなかった。

     (写真4)

    カフェルナウム遺跡(後述)の横からも、ガリラヤ湖がきれいに
    見える(写真4)。こ
    こは波の荒い場所でイエスが嵐の夜、船で眠
    っておられた場所であり、湖の上を歩いて
    来られた場所でもあると
    ガイドが説明してくれた。白鷺の姿が水辺に見られた。


    (写真5)

     カファルナウムのガリラヤ湖畔には「タノリン」という有名なレ
    ストランがある(写
    真5)。

    (写真6)

     ここでガイドブックによく出ている「ペトロの魚」(
    Peter Fish
    を食べた(写真6)。
    鯛のような味のする美味しい魚で、フライか
    グリルにしてくれる。メニューには
    1600g
    と書かれていた。日本
    人には、二人で一匹注文すれば丁度適当なボリュームという感じ

    だった。

    *ウィキペディア

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%A4%E6%B9%962011.6.18.閲覧)

    1.イスラエル・パレスチナ編 (12)タブハ◆ 櫂撻肇躱ぬ振飢顱

    • 2011.10.11 Tuesday
    • 16:00


    (写真1)

     「パンと魚の奇跡の教会」から車で2,3分のところに「ペトロ
    召命教会」がある。
    (写真1)は教会入り口の門で”Church of the
    Primacy of St. Peter, Mensa Christi”
    と書
    かれている。門を入る
    と、泉から湧き出たきれいな小川が流れている場所がある。

    (写真2)
     

     (写真2)は門を入ってから教会に着くまでの道を途中で振り返
    って見た時に撮った
    もので、遠くに門が見える。

    (写真3)
     

     この教会も敷地内に野外礼拝できる場所があり、(写真3)のよ
    うに礼拝している観光
    客の姿も見られた。

    (写真4)
     

    教会は石造りでガリラヤ湖畔にあり(写真4)、4〜5世紀に建
    てられた教会の跡に、
    1943年にフランシスコ修道会によって新しく
    建てられたものである。イエス・キリスト
    が湖畔を歩いておられた
    時、漁師であったペトロとアンデレに、「わたしについて来なさ

    い。人間をとる漁師にしよう」(マタイ419)と言われたのは、
    この場所だとされてい
    る。

    (写真5)
     

    (写真5)は礼拝堂内部の写真で祭壇後部と側面の窓のステンド
    グラスが美しい。

    (写真6)
     

    (写真6)は教会の祭壇部分を近くから撮ったもので、祭壇前に
    ある大きな岩は、ラ
    テン語で「メンザ・クリスティ」(「キリスト
    の食卓」の意)と呼ばれ、魚をグリルした
    焦げ跡がついていた。

    (写真7)
     

    この大きな岩は右手の壁を突き抜けて外に続いており、外からみ
    ると(写真7)に見
    られるように岩の端から石段で下に降りてくる
    ようになっている。現在はガリラヤ湖ま
    で数十メートルはなれてい
    るが、当時は階段下近くまで水が来ていたらしい。また、そ
    の横に
    6つの岩が見えるが、これはペトロがイエスから「わたしを愛し
    ているか」
    と三
    度問われ、「わたしがあなたを愛していること
    を、あなたはよく知っておられます。」
    三度答えたことを意味
    するとガイドが説明してくれた(ヨハネ
    211517)。

    (写真8)
     

    この6つの石の左手にあるガリラヤ湖に面した教会の石垣に、
    (写真8)のような聖書
    の一節とその説明を書いた板がはめ込まれ
    ている。それには、聖句「お言葉ですから、
    網を降ろしてみまし
    ょう」(ルカ
    5
    5と共に「イエスの行為と奇跡は過去のことで
    はな
    い。イエスは、彼の力を完全に信じるが故に、危険をおかして
    もみ言葉に従おうとして
    いる人たちを待っておられる。」と英語と
    ドイツ語で書かれていた。イスラエルの聖書に
    関連する観光地に
    は、どこに行ってもこれと同じサイズ、同じ色、同じ字体の統一さ
    た聖句による説明プレートがあり、観光客人数の多い順なのか必
    ず英語とドイツ語で書
    かれているのが特徴である。キリスト教を信
    じている人たちには非常に親切な表示だと
    思う。

    (写真9)
     

    教会のそばには、イエスとペトロの像があり(写真9)、イエス
    がペトロに三度「わた
    しの羊を飼いなさい」(ヨハネ2115
    17
    )。と言われている情景を表している。ガリラ
    ヤ湖を背景にした
    彫刻のシルエットがとても美しかった。

     

    1.イスラエル・パレスチナ編 (11)タブハ  櫂僖鵑筏の奇跡の教会−

    • 2011.10.10 Monday
    • 21:59
         (写真1)

      山上の垂訓教会から車で
    10分ほどで、祝福の山のふもと、ガリラ
      ヤ湖畔にある小さな
    村タブハ(Tabgha)にある「パンと魚の奇跡
      の教会」に着いた。ついでながら、イスラ
    エルの道路標識はヘブラ
      イ語、アラビア語、英語の3言語で書かれている(写真1)。

    タブハとは、ギリシア語の「ヘプタペゴン」(“7つの泉”の
    意)がアラビア語なまり
    したもので、その名の通りここには7つの
    泉がある。その中でも最も大きいのはエン・
    ヌルの泉という鉱泉
    で、27℃に達する温水が湧き出しているらしい。この一帯はガリ

    ラヤ湖の中でも、特に冬期に魚が集まる所と言われている。何故な
    ら、ピーター・フィ
    ッシュなどの魚は冷水に弱く、温かい水を求め
    てやって来るからという。今でも漁師達
    は夕方近く港を出て、昔な
    がらの小舟を漕いで明け方まで網を降ろすらしい。また、一
    説には
    Tabagha
    (アラビア語で多くの食事の意)から来た名前とも言われ
    ている。

    (写真2) 

    (写真2)はパンと魚の奇跡の教会(The Church of the
    Multiplication of the Loaves
    and Fishes)の入り口である。植え込
    みの間に教会の屋根の小さな鐘と十字架が見える。
     

    (写真3)

     教会の前にはオリーブオイルをしぼる石臼等の石の道具がいくつ
    か並べて置いてあっ
    た(写真3)。

    (写真4)

    (写真4)はは教会入り口の塀と門である。この教会は
    480AD
    ローマ街道に沿って
    建てられたものが614ADにペルシャ軍によって
    破壊され、現在の教会は
    1980/82に建て
    られたと書かれていた。

    (写真5) 

    教会の中庭に7つの泉を象徴して、7匹の魚の口から水の出てい
    る小さな池がつくって
    あった(写真5)。

     (写真6)

    この教会はもともとビザンチン様式の教会で、イエス・キリスト
    が5つのパンと2匹
    の魚を祝福して、5000人を満腹させた奇跡を記
    念したものである(ルカ
    91017)。

    (写真6)は礼拝堂内部であるが、とてもシンプルな造りであるこ
      とがわかる。

    (写真7)
     

    (写真7)は祭壇を近くから撮ったものである。床はモザイクにな
    っていて、祭壇の下
    には岩が露出している。

    (写真8)
     

    祭壇は一段高くなっていて、白い石のテーブルが置かれており、
    その下に魚を焼いた
    焦げ跡の残る岩があった。またその前方にはイ
    エスの奇跡を象徴する5つのパンと2匹
    の魚を表す有名なモザイク
    絵が見られた(写真8)。

    (写真9)
     

    この教会にあるモザイク床(写真9)は、イスラエルに残る同種
    のモザイクの中でも
    すぐれたものの一つと言われている。ここには
    当時ガリラヤ湖畔に生息していたと思わ
    れる動植物が生き生きと描
    かれていて興味深い。

    1.イスラエル・パレスチナ編 (10)祝福の山 −山上の垂訓教会−

    • 2011.10.10 Monday
    • 12:49
     

    ガリラヤ湖の北西に位置する湖面からの高さ125mの山は、「祝
    福の山」(
    Mount of
    Beatitudes)と呼ばれている。ここには1938
    年イタリアの建築家アントニオ・バルルッ
    チによって建てられた美
    しい8角堂のフランシスコ会教会がある。この場所は、イエス・

    キリストが「山上の垂訓」(マタイ5章)を語り、弟子達を祝福し
    たところとされている。
    また、この丘でイエスは十二弟子を選んだ
    とも言われている。(ルカ
    612 そのころ、イ
    エスは祈るため
    に山に行き、神に祈って夜を明かされた。
    613朝になると弟
    子たちを呼び集め、その中から12人を選んで使徒と名付けら
    れた。
    614 それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、
    その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バル
    トロマイ、
    615マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱
    心党と呼ばれたシモン、
    616 ヤコブの子ユダ、それに後に裏
    切り者となったイスカリオテのユダである。)
     

    (写真1)

      敷地の入り口から教会に至る道には、(写真1)のように山上の
    垂訓の言葉(マタイ
    5
    310)が書かれた石が並んでいた。敷地
    内には
    2000324日にイエス・キリスト生
    2000年を記念してロ
    ーマ法王パウロ2世が訪問されたという記念の看板も見られた。

    (写真2)
     
    (写真2)は「山上の垂訓教会」の正面写真である。側面が8角形
    のドームがある美し
    い教会である。

     (写真3)

     この教会からは、ガリラヤ湖の素晴らしい景色を見渡すことが
     出来る(写真3)。

     (写真4)

     イエスの時代にはどのような状態であったかわからないが、現
     在の教会の周囲は花と
    緑が美しく、楽園のような場所だった
    (写真4)。


      (写真5)

     ところどころ火山岩の黒い石が見られ、眼下にガリラヤ湖がひ
     ろがる丘陵地帯は、ま
    さに山上の垂訓には絶好の場所と思われた
    (写真5)。ガイドの説明によると、ここで
    5,000人の人を集めて
     説教をしても、肉声で十分聞こえるということだった。

     (写真6)

       敷地内では何人かの人たちが集まって礼拝を捧げている光景も
     見られた(写真6)。

     (写真7)

      教会の内部には、入り口正面の中央にアーチ型をした祭壇があ
     った(写真7)。床は美
    しいモザイクで造られていた。

     (写真8)

     また、入り口を除く7辺の壁に各辺2枚ずつヴィア・ドロロサの
     絵が計
    14枚かけてあ
    った。(写真8)はヴィア・ドロロサの絵の
     一例である。

    (写真9)
     

     更に、祭壇後方の入り口と反対側にはキリストの磔刑の像があ
      った(写真9)。

     (写真10)

     教会は八角形をしていたが、これは8つの垂訓(マタイ53
     〜
    10
    )を意味しており、
    各辺の頭上には8つの言葉が書かれ、
     中央ドームの内部は金色のモザイクになっていた(写真10)。

      

    1.イスラエル・パレスチナ編 (9)ナザレぁ 櫂淵競譴猟並み−

    • 2011.10.10 Monday
    • 12:38
     

     ナザレはイエスの故郷である。ヘロデの難を避けエジプトに逃れ
    ていたヨセフは、ヘロ
    デが死んだ後マリア、イエスを連れてイスラ
    エルに帰り、ナザレに住んだ(マタイ
    2:19
    23)。聖書には
    「『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言わ
    れていたこと
    が実現するためであった。」(マタイ2:23と書
    かれている。今日のナザレは人口
    6万人以
    上で、イスラエル北部の
    中心となる町である。住民の大部分はイスラム教徒かキリスト教

     徒でモスクと教会が混在している。

      
      (写真1)

    (写真1)はホテルの窓から眺めたナザレの町の夕暮れ風景で、イ
    スラム教のモスクの
    ミナレットには既に緑色の明かりがともされて
    いる。

     (写真2)
     

    (写真2)は(写真1)より少し左手を撮った朝のナザレである。
     中央の上の方に見え
    る受胎告知教会が町の中心で、どこからでも
     その位置がわかる。前方のミナレットが緑色の明かりがついてい
     たモスクである。

    1.イスラエル・パレスチナ編 (8)ナザレ −聖ヨセフ教会−

    • 2011.10.10 Monday
    • 12:13
       (写真1)

      修道院を真ん中にして受胎告知教会と反対側の翼の位置に聖ヨセ  
     フ教会がある。(写真
    1)はその入り口である。この教会は1914
     に新築されて現在の形になったものである。
    受胎告知教会と同様に
     ビザンチンと十字軍時代の遺跡の上に建てられている。
     

      (写真2)

           
    教会堂の内部は(写真2)のようになっており、比較的シンプル
     な教会である。

     
     (写真3)

     この教会の地下には洞穴の住居跡があり、大工ヨセフの仕事
     場、もしくは聖家族が住
    んでいたところされている。(写真3)
     のようにそこに降りていく昔の階段が残っている。

    (写真4)
     

     地下には(写真4)のような祭壇がつくってある場所もあっ
     た。

     (写真5)

     (写真5)はイエスがヨセフの大工仕事を手伝ったとされる場所
     で、ヨセフの仕事場
    である。

     (写真6)

     壁にはその時の想像図(写真6)が掛けられており、当時の様
     子に思いを巡らすこと
    が出来た。

     (写真7)

      また、刑場にひかれていくイエスを描いたヴィア・ドロロサの
     絵(写真7)も掛けられていた。

    1.イスラエル・パレスチナ編 (7)ナザレ◆ 歇胎告知教会−

    • 2011.10.10 Monday
    • 10:59
     

     聖ガブリエル教会から徒歩で数分の距離にマリアの家つまりイエ
    スが住んでおられた場
    所があり、ここに聖ヨセフ教会(ナザレで
    紹介)と受胎告知教会が建てられている。

     (写真1)
     

    (写真1)はその受胎告知教会周辺の全体案内図でミサの時間が書
     かれている。図の右手前にあるのが受胎告知教会、中央が修道院、
     左端が聖ヨセフ教会である。

     (写真2)

     

     (写真2)は受胎告知教会と現在のナザレ。受胎告知教会、修道
     院、聖ヨセフ教会と町の様子がわかる。現在の受胎告知教会は
    5
     目の教会に相当し、
    1955年〜69年に14年間かけて建てられたフラ
     ンシスコ派の巨大な教会である。アベ・マリアの頭文字の
    Aをかた
     どって造られた三角屋根の聖堂が印象的である。

     (写真3)

     (写真4)

     

    (写真3)は正面から眺めた受胎告知教会、(写真4)は聖ヨセ
    フ教会前から受胎告知
    教会を撮ったもので左側の建物は修道院であ
    る。受胎告知教会と聖ヨセフ教会は修道院の両翼のような位置関係
    にある。

     (写真5)

     (写真6)
     

     発掘により、受胎告知教会と聖ヨセフ教会の間の地下から、いく
    つかの洞穴、またぶど
    うとオリーブをひく石臼、水槽、穀物貯蔵用
    のサイロなどが発見されている。ナザレの村では、古くから農業が
    盛んだったようで、イエスのたとえ話に農事に関するものが多いの
    は、そのせいかも知れないと言う人もある。(写真5)、(写真6)
    はその遺跡の外観と説明書きを撮ったものである。

     (写真7)

    (写真8)
     

    (写真7)は受胎告知教会の庭にあるマリアの像、(写真8)は受
    胎告知教会正面入り口
    である。上の左は天使、右はマリア、下の4
    人は左からマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネである。

    (写真9)

     (写真9)はイエス・キリストの生涯を彫刻した受胎告知教会正面
     玄関の扉で、
    左上から下に

    上:ベツレヘムでの誕生
    中:へロデ王に追われエジプト方面に逃れる
    下:少年イエス

     右下から上へ

    下:ヨハネからバプテスマを受けるイエス
    中:ガリラヤ湖周辺での布教活動
    上:十字架上のイエス

     を表現しているのが読み取れる。

     (写真10)

     

     受胎告知教会聖堂の地下に相当するところに礼拝堂と受胎告知の
    洞穴がある(写真10
    天使ガブリエルがこの場所でマリアに現
    れ、(ルカ
    131 「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子を
    イエスと名付けなさい。」)と告知したとされている(ルカ
    126
    38)。この部屋の天井部分の中央には八角形の穴があいていて1
    階とつながっている。後方にあるのは十字軍時代の教会の壁がその
    まま残ったものである。

     (写真11)

     (写真12)
     

    (写真11)は同じ地下の礼拝堂を横から撮ったものである。真ん
    中の洞穴の奥に(写
    真12)のような祭壇がある。これは赤いモザイ
    ク床から
    4世紀のビザンチン教会時代に造られたものだということ
    がわかるようである。

     (写真13)
     

    (写真13)は1階の礼拝堂の写真である。中央部に八角形の穴があ
    いている。内部の
    壁には世界の国々から寄贈された16枚の聖母子の
    モザイク絵が飾られている。祭壇後ろ正面の絵はキリストが「疲れ
    た者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませ
    てあげよう。」(マタイ
    1128と言っておられるところを描い
    たものである。

     (写真14)
     

    (写真14)は日本が寄贈した、長谷川路可作の「華の聖母子」で、
    着物姿のイエスと
    マリアが如何にも日本的である。

     (写真15)
     

    (写真15)は聖堂ドームの部分を下から見上げて撮ったものである
    が、中央部は
    16
    の逆さになった百合の花を表している。花弁の先
    はマリアのMを表し、根本の部分は天の神に向い、広がった花はマ
    リアが受胎告知を受けた地下の洞穴を陰で暗くしている。そして全
    体は神の愛が天から人類に示されたことを象徴している。

     (写真16)
     

    (写真16)は礼拝堂後部を撮ったもので、会堂全体で64枚のきれい
     なステンドグラスがはめられている。

     (注)*出典:Our Visit to the Holy LandMount of Olives Press       
                Jerusalem

    1.イスラエル・パレスチナ編 (6)ナザレ  歙札ブリエル教会−

    • 2011.10.10 Monday
    • 10:36
     

     カナの教会から車で20分ほど行くとイエスの住んで居られたナザ
    レに着く。ナザレは人
    口約45千人のアラブ人の町である。海抜約
    350m
    のガリラヤの丘陵に位置し、イズレエル(サムエル下2:9
    他)
    、タボル山(詩89:13他)、モレの丘(士師71)等旧約聖書ゆ
    かりの地を展望出来る。

      イエスの時代のナザレには500人ほどの人が住んでいたようであ
    る。ナザレは
    Netlet
    いう花から来た名前ともナサラ(アラビア語
    Help Christの意)から来た名前とも言われている。ナザレの人達
    はキリストに好意的ではなかったので、キリストはガリラヤ地方に
    出て行ったとされている。

    (写真1)

     

     (写真1)はナザレの聖ガブリエル教会前の広場を囲う柵と門であ
    る。中に教会が見え
    る。

     (写真2)
     

    (写真2)は教会の入り口である。丁度ここで結婚式が行われよう
    としていたために、
    教会内部をゆっくり見ることは出来ず、途中で
    追い出されてしまった。

     (写真3)
     

    (写真3)は教会内部の写真で聖障(iconostasis)と祭壇であ
    る。この教会は
    1967
    に十字軍時代の基礎の上に建てられたギリシ
    ア正教会である。

     (写真4)
     

    (写真4)は昔泉があったグロットで、ギリシア正教の伝承によ
    ると、マリアがここに
    ある泉に水を汲みに行った時、天使ガブリエ
    ルの御告げを受けたとされている。

     (写真5)

     (写真6)
     

     この教会内部には(写真5)のように今でもきれいな水がこんこ
    んと湧いている泉があ
    り、マリアの泉と呼ばれている。(写真6)
    はその拡大写真である。

     
     (写真7)

     この横には今は使われていないが、昔の階段跡がそのまま残され
    ている(写真7)。マリ
    アがこの階段を降りて水をくみ、ここから
    家のあった聖ヨセフ教会のあたりまで運んだと言われている。

    (注)*出典:Our Visit to the Holy LandMount of Olives Press  
               Jerusalem

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