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- 2019.05.01 Wednesday
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真如寺(しんにょじ)は北区等持院北町、等持院の東方、六請神社の東隣にある臨済宗相国寺派の寺院で、山号は萬年山。鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)とともに大本山相国寺三山外塔頭の一つで、古くは五山十刹の十刹にも数えられていた。勧請開山・無学祖元(仏光国師)の弟子であった無外如大尼(むがいにょだいに)が、師の没年の弘安九年(1286)に、遺髪や爪を祀るためにこの地に「正脈庵(しょうみゃくあん)」を開いたのが始まりである。無学祖元の法を継ぐ夢窓疎石(夢窓国師)が、足利初代将軍尊氏の執権・高師直(こうのもろなお)の外護を受けて大伽藍を整え、以後室町幕府の手厚い保護を受けた。
明暦二年(1656)に後水尾上皇によって再興された法堂(仏殿)「大雄殿」には、中二階風の須弥壇があり、仙洞御所から寄進された宝冠釈迦如来像を安置している。また客殿には、原在中筆の襖絵「西湖図」「四季花卉図」が残る。
大正七年(1918)に新たな鎮守として「半僧坊大権現」を相国寺山内より境内に移し、現在に至る。
(写真1)
(写真1)は鉄の扉がついた南門で、門柱にはそれぞれ「萬年山」と「真如寺」と刻まれた寺札が埋め込まれ、門を入った左手には「奥山半僧坊大権現」の石標が立っている。
(写真2)
(写真2)は門柱の左(西)側に掲げられた「50回記念京の冬の旅 特別公開」の看板である。
(写真3)
(写真4)
(写真3)は南門から山門までの参道、(写真4)は山門で、山門の前には堀があり杜若が植えられている。
(写真5)
(写真5)は山門を入ってからの参道で、正面奥に見えるのが法堂である。
(写真6)
(写真7)
(写真8)
(写真6、7)は法堂、(写真8)は法堂前庭にある七重塔で、法堂には「大雄殿」の扁額が掛かっている。法堂内部は撮影禁止である。
(写真9)
(写真10)
(写真11)
(写真9〜11)は法堂手前の参道左(西)側に建つ圓通殿で、半僧坊大権現が祀られている。
(写真12)
(写真13)
(写真14)
(写真12〜14)は境内西側にある2つの鎮守社で、「正一位稲荷大明神」の幟が立っている。
(写真15)
(写真16)
(写真15)は境内東側にある客殿とその玄関、(写真16)は客殿南の庭園側から入る中門である。
(写真17)
(写真18)
(写真19)
(写真17)は中門から見た客殿と南庭園、(写真18、19)は客殿南庭園で、牛塔や待合等も見られる。なお、客殿内部も撮影禁止となっている。
(写真20)
(写真20)は拝観券にある客殿襖絵の「西湖図」(原在中筆)である。(2016.2.26.訪問)