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    0668七面祠(Shichimen Hokora Small Shrine)

    • 2015.10.28 Wednesday
    • 08:55
     七面祠(しちめんほこら)は、松ヶ崎の涌泉寺への参道から西へ入ったところにある神社で、日蓮宗の守護神である七面大明神(七面大天女)が祀られている。七面大明神は、甲州(現在の山梨県)身延山の七面山(しちめんさん)に祀られており、松ヶ崎七面祠は、これを模したものといわれる。
     七面大明神には次のような故事が伝わっている。鎌倉時代中期の建治三年(1277、日蓮が、甲州巨摩郡波木井郷身延で説法をしていると、一人の美しい女性が聖人の話を熱心に聞いていた。この地の有力者 南部六郎実長は、この辺りで見かけない女性なので、不審に思い尋ねると、日蓮がその女性に「あなたの本当の姿を見せてあげなさい」と言う。その女性が「ほんの少しの水をください」と答えると、日蓮は水差しの水を一滴、女性の頭に落とした。すると女性は、龍の姿に変わり、「私はこの七面山に棲む七面大明神です。身延山の裏鬼門にいて身延山を守護し、『南無妙法蓮華経』のお題目を唱える人々の苦しみを取り除き守護します」といい、七面山へ登っていったといわれる。
     永仁五年(1297)、日蓮が亡くなって16年目に、日朗上人と南部実長が七面山に登り、山頂の一の池の傍らに七面大明神を祀った。その後、七面大明神は、法華経の守護神として信仰されるようになる。
     七面山(しちめんさん)は女人禁制であったが、徳川家康の側室 お万の方が、白糸の滝で水行し、七面山に初めて登山参拝したことから、男女を問わず七面大明神信仰が盛んになったといわれる。

     
    (写真1)

     (写真1)は松ヶ崎小学校の前の道を涌泉寺の方へ登って行ったところにある石塔や石碑で、そのまま右にカーブして登って行くと涌泉寺へ、石塔・石碑群の後方を左に折れて登って行くと七面祠へ行き着く。

     
    (写真2)

     (写真2)は一番手前(左)にある石塔を後方から撮ったもので、「南無妙法蓮華経」のお題目が刻まれ、台座には「文政六年」とあるので、1823年に建てられたことが分かる。

     
    (写真3)

     (写真3)はそれに続く2つの石碑で、手前(左)には「眼病救護七面大天女道」、後方(右)には「南無妙法蓮華経、松崎山」と刻まれている。

     
    (写真4)

     (写真4)は最も後方にある石碑で、これには實眼僧都詠歌として「日輪瀧」、「月輪瀧」の二首の歌が刻まれている。

     
    (写真5)

     (写真5)は石塔・石碑群の後方を左(西)の方に向かって登って行く七面祠への参道で、石の鳥居が見える。

     
    (写真6)

     (写真6)は鳥居をくぐって少し先の右手にある「日輪の滝」と思われる滝の跡で、水は涸れているが石組みの上部に石の樋がある。

     
    (写真7)

     (写真7)は滝の少し先に見える石段で、これを登り詰めた右手に拝殿、本殿がある。

     
    (写真8)

     (写真8)は拝殿で、後方の山裾に本殿が見える。

     
    (写真9)

     
    (写真10)

     
    (写真11)

     (写真9、10)は拝殿の後方から撮った本殿、(写真11)は近くから見た本殿である。手前にある二つの灯籠には竿の前面に「七面宮御寶前」と刻まれ、左(西)側の灯籠側面には「妙泉寺」、右(東)側の灯籠側面には「松崎山」とそれぞれ刻まれている。また、立入禁止となっている柵の後方、祠の前方には橋が見え、その下には現在は水はないが、かっては池になっていたものと想像がつく。左手には滝の跡が見られたので、それが「月輪の滝」で、そこから流れ落ちた水が池を満たし、池から流れ落ちる水が「日輪の滝」となっていたものと思われる。祠はトタン屋根の覆屋があるものの、ブルーシートが張られ、荒れ放題の感があった。

     
    (写真12)

     (写真12)は拝殿西側前方にある小さな宝塔で、この北側に滝の跡が認められた。(2015.10.9.訪問)

     

    0667涌泉寺(Yusenji Temple)

    • 2015.10.27 Tuesday
    • 09:39
     涌泉寺(ゆうせんじ)は五山送り火「妙法」の松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の麓、左京区松ヶ崎堀町にある日蓮宗の寺院で、山号は松ヶ崎山。日像(にちぞう)上人を開山とする。大正七年(1918)妙泉寺(みょうせんじ)と本涌寺(ほんゆうじ)で合併して涌泉寺と改名した。「松ヶ崎壇林」と呼ばれ、日蓮宗京都六壇林の一つである。
     妙泉寺は、はじめ天台宗に属して歓喜寺(かんきじ)という名の寺院であったが、永仁(えいにん)年間(1295頃)日像(にちぞう)上人が京の都を中心に日蓮宗を広めた際、当時の涌泉寺住職往持実眼(じつげん)をはじめ村民が熱心に信仰するようになり、村民は説教に感激してお題目を唱えながら踊ったとされている。
    その踊りは「松ヶ崎題目踊り」の名で有名となり、戦国時代には京都市中にもしばしば出かけ、また江戸時代の初めには後水尾上皇も見物に行幸されたことがあったという。題目を基調にしたもので、法華経の功徳を歌詞に折り込みながら踊り明かす法華信仰の姿そのものであり、現在は毎年8月15、16日の両夜、本寺の境内で行われ、重要無形民族文化財に指定されている。
    また、妙泉寺の堂舎跡(現在の松ヶ崎小学校)は天文(てんぶん)五年(1536)の天文法華一揆によって焼失したが、豊臣秀吉が再興し、法華一門の学林も置かれた。山門傍らに「法華宗根本學校道」と刻まれた石碑が残されている。

     
    (写真1)

     
    (写真2)

     
    (写真3)

     (写真1、2)は山門で、「松ヶ崎涌泉寺」の寺札が掛かり、左手前に「法華宗根本學校道」と刻まれた石碑が立っている(写真3)。

     
    (写真4)

     (写真4)は山門から参道を少し入ったところから撮った境内で、正面奥にあるのが本堂、その左側が庫裏、右側が保育園である。

     
    (写真5)

     
    (写真6)

     
    (写真7)

     (写真5)は参道から本堂前広場に出る右手にある鐘楼と水場、(写真6、7)は本堂(踊堂)である。本堂は、本涌寺のもので、妙泉寺日生聖人が天正二年(1574)に開設した檀林の講堂がそのまま転用され、造営は承応3年(1654)頃とされる。女院御所造営の際の残木により造られたという。様式は禅宗本堂と同じく六つの間取りであって、特異な様式を示し、日蓮宗檀林の講堂の遺構としては、全国的に見ても最古で、唯一のものと思われる。

     
    (写真8)

     
    (写真9)

     (写真8)は本堂の左(西)側にある庫裏入口の門で、門前には「法華宗根本學室」の石碑が立っている。(写真9)は庫裏である。

     
    (写真10)

     (写真10)は本堂右(東)側にある松ヶ崎保育園の門と園舎である。

     
    (写真11)

     
    (写真12)

     (写真11、12)は山門手前の北側山手にある生師廟である。この生師廟は、本涌寺の鼻祖(びそ)である日生上人の廟堂として建てられたもので、享保十三年(1728)の建立である。正面には「生師廟」の扁額が掛かっている。
     なお、涌泉寺の本堂及び生師廟は、壇林時代の建物として、江戸時代前期から中期に属するもので、近世日蓮宗壇林の堂舎構成及び建築形式を良く伝える遺構として価値が高く、京都市指定有形文化財に指定されている。(2015.10.9.訪問)

     

    0666白雲稲荷神社(Shirakumo Inari Shrine)

    • 2015.10.26 Monday
    • 16:38

     白雲稲荷神社(しらくもいなりじんじゃ)は、東松ヶ崎にある神社で、松ヶ崎大黒天(0665参照)の東隣に位置する。祭神は倉稲御魂神で、鬼子母神(きしぼじん)と牛の宮が合祀されており、安産と火の用心にご利益があるといわれている。
     東松ヶ崎は、ご神託により、井戸掘りと牛の飼育を禁じられており、牛の宮には、牛の守護神が祀られている。昔から、農家では、馬を飼育し農耕に従事してきており、昭和三十九年(1964)までは、祭の日には、参道で競馬が行われていた。また、井戸は、妙圓寺西参道下にある一箇所の井戸のみだった。この井戸の水は、大正十五年(1926)まで、農家の生活用水として使用されてきた。

     
    (写真1)
     

     (写真1)は参道正面の鳥居で、右手前に「白雲稲荷神社」の石標が立っている。

     
    (写真2)
     

     (写真2)は鳥居をくぐった後、石段の登りになる参道である。

     
    (写真3)

     
    (写真4)
     

     (写真3、4)は石段を登り切った右手にある拝殿で、京都御所の能楽殿から移築されたものである。拝殿には絵馬が掛かっている。

     
    (写真5)

     
    (写真6)
     

     (写真5、6)は一間社流造の本殿で、「白雲稲荷尊」の扁額が掛かっている。(2015.10.9.訪問)
     

    0665妙圓寺(松ヶ崎大黒天)(Myoenji Temple/Matsugasaki Daikokuten)

    • 2015.10.25 Sunday
    • 08:56
      妙圓寺(みょうえんじ)は通称松ヶ崎大黒天(まつがさきだいこくてん)と呼ばれ、五山の送り火「妙法」で知られる松ヶ崎東山の「法」の字の火床の真下に位置する日蓮宗の寺院で、山号は松崎山(しょうさきざん)。七福神の一人、都七福神めぐり・京都七福神めぐり・京七福神めぐりの3コースの大黒天が祀られている。
     元和二年(1616)日英上人によって創建され、本尊の大黒天は、伝教大師の作、日蓮聖人が開眼したものといわれている。当寺は京都の表鬼門(東北)に位置するところから、京都の鬼門守護の神でもあり、古来福運を授ける神として信じられ、「松ヶ崎の大黒さん」として親しまれている。昭和四十四年(1969)の火事で無事だったので、「火中の大黒さま」とも呼ばれている。正月初子の日を初めとして、60日に1回の甲子(きのえね)の日に開帳されるため、その日は参詣者が多く、諸願成就・寿福円満の御祈祷が執行される。

     
    (写真1)

     
    (写真2)

     (写真1)は北山通の北側に並行して走る府道103号線に面した鳥居、(写真2)は「大黒天」と書かれたその扁額である。鳥居の右手前には大正六年(1917)に建てられた石標があり、「松ヶ崎大黒天」と刻まれている。

     
    (写真3)

     
    (写真4)

     (写真3)は鳥居をくぐって参道を北に入った突き当たり付近で、正面に見える鳥居は白雲稲荷神社である。写真左手前に「松ヶ崎大黒天」の石標(写真4)が立ち、参道はその北側にある二つの石灯籠の間から北西に延びている。また、白雲稲荷神社鳥居の左手に見える道を登って行くと、山門を経ずにバリアフリーで妙圓寺境内に入ることが出来、白雲神社境内から直接妙圓寺に行ける道と合流する。

     
    (写真5)

     
    (写真6)

     (写真5)は参道を正面から撮ったもので、突き当たりで左に曲がり、(写真6)に見る参道へと続く。この一番奥の右手に見えるのが山門前の石段下にある石の鳥居である。

     
    (写真7)

     
    (写真8)

     
    (写真9)

     (写真7)は山門下の鳥居、(写真8)は石段下から見上げた山門(東門)、(写真9)は山門である。山門には注連縄が張られ、右手には次の甲子祭の日程が十月十五日であり、前夜七時ご開扉と書かれている。また、左手には「都七福神まいり」の七個所が書かれた看板がある。

     
    (写真10)

     (写真10)は山門を内側から撮ったもので、山門前からは町が見下ろせる。

     
    (写真11)

     
    (写真12)

     (写真11)は白雲稲荷神社から妙圓寺に行く道の右手にある釈迦如来堂、(写真12)はそこから更に進むと見えてくる境内入口である。

     
    (写真13)

     
    (写真14)

     
    (写真15)

     境内には西側からも入ることが出来る。(写真13、14)は西門、(写真15)は西門を入った所から撮った境内である。

     
    (写真16)

     
    (写真17)

     (写真16)は山門を入った右手北側にある手水舎、(写真17)はその右奥(北側)にある水子観音像である。

     
    (写真18)

     
    (写真19)

     
    (写真20)

     (写真18)は手水舎手前から撮った大黒堂と本堂、(写真19)は大黒堂正面、(写真20)は大黒堂の前に安置されている「なで大黒」像である。

     
    (写真21)

     (写真21)は大黒堂を近くから撮ったもので、「松ヶ崎開運大黒天」の扁額が掛かっている。

     
    (写真22)

     (写真22)は大黒堂内部で、正面奥に60日に1回甲子の日に開帳される本尊の大黒天が安置されている。

     
    (写真23)

     (写真23)は大黒堂の左(西)側に建つ本堂で、昭和四十四年(1969)に焼失したが、 その後、鉄筋コンクリートで再建されている。正面階段下の右手には宗祖大聖人御説法像が立っている。

     
    (写真24)

     
    (写真25)

     (写真24、25)は大黒堂の向かい側にある絵馬堂で、普段は中には入れない。

     
    (写真26)

     
    (写真27)

     (写真26)は本堂の西側に建つ寺務所、(写真27)は境内西端にある玄関である。(2015.10.9.訪問)

     

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