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- 2019.05.01 Wednesday
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鳥羽天皇安楽寿院陵(とばてんのう あんらくじゅいんのみささぎ)は、鳥羽離宮(鳥羽殿)の東殿に付設された安楽寿院(0637参照)の西、伏見区竹田浄菩提院町にある第七十四代鳥羽天皇の御陵である。
鳥羽離宮は、平安時代末期に、白河上皇が創建した院御所で、白河上皇の後を引継いだ鳥羽上皇の時代にほぼ完成したといわれ、南北朝時代まで院御所とされていた。
鳥羽天皇は、白河法皇の院政もとで、5歳で即位、20歳で長男の崇徳天皇に譲位、白河法皇が崩御の後、鳥羽上皇が、崇徳天皇、近衛天皇、後白河天皇の三代、28年間にわたり院政を行った。
39歳のときに東大寺戒壇院にて受戒し法皇となり、53歳で、安楽寿院で崩御。自ら陵所と定め、建立していた本御塔(ほんみとう)に葬られた。出家前に北面武士として鳥羽法皇に仕えていた歌人 西行法師も、高野より下山してきて、葬送に参加されたといわれる。
永仁四年(1296)、本御塔が、焼失。元治元年(1864)、現在の御陵(法華堂)が造営された。
(写真1)
(写真2)
(写真3)
(写真4)
(写真1〜2)は鳥羽天皇安楽寿院陵、(写真3)は菊の御紋の入った屋根の一部を撮ったもの、(写真4)はその制札である。(2014.11.3.訪問)