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    0474勝持寺(Shojiji Temple)

    • 2014.04.30 Wednesday
    • 18:57

     勝持寺(しょうじじ)は西京区大原野南春日町にある天台宗の寺院で、大原野神社に隣接しており、正式には小塩山(おしおざん)大原院勝持寺という。

     100本の桜が境内を埋め尽くすことから、「花の寺」と称されている桜の名所である。平安時代末期の僧 西行法師ゆかりの「西行桜(三代目)」が鐘楼のそばにある。
     奈良時代
    中期の白鳳八年(679)、役行者(えんのぎょうしゃ)が、天武天皇の勅命で創建したといわれている。
     延暦十年(791)、桓武天皇の勅命で、伝教大師 最澄により再建され、「小塩山 大原寺(たいげんじ)」と称したといわれている。仁寿年間(851854)に仏陀上人(ぶっだしょうにん)が、文徳天皇の帰依を得て伽藍を建立し、「大原院勝持寺」に改称された。
     保延六年(1140)、歌僧 西行法師が、勝持寺で出家して草庵を結び、一株の桜を植えて吟愛していた。世人はその桜を「西行桜」と称し、寺を「花の寺」と呼ぶようになり、古来から有名な桜の名所として知られるようになった。南北朝の時代、婆娑羅大名として知られる佐々木道誉が闘茶会を宴すなど、数々の花見の宴、茶会でにぎわったようである。

     謡曲「西行桜」は、この隠栖している西行法師と、庵室の庭に咲いている桜をからませて、春宵の閑寂な情趣をえがいたもので、当寺が舞台になっている。 
     応仁の乱で焼失したが、天正年間(15731592)に再建され、江戸時代初期には桂昌院の帰依を受けたといわれている。

     
    (写真1)

     
     (写真2)
     

     (写真1)は東門、(写真2)は南門で、南門には「小塩山大原院勝持寺」、「花の寺」、「西国藥師第四十二番霊場」の寺札が掛かっている。

     
    (写真3)
     

     (写真3)南門正面にある書院で、比較的最近建てられたものと思われる。

     
    (写真4)

     
    (写真5)

     
    (写真6)
     

     (写真4、5)は書院奥の境内北東隅にある阿弥陀堂で、右手前には賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)像が見られる(写真6)

     
    (写真7)
     

     (写真7)は阿弥陀堂の東側に隣接する瑠璃光殿で、内部には薬師如来像の本尊と胎内仏、金剛力士像(以上重要文化財)、日光菩薩・月光菩薩・十二神将像、西行法師像、醍醐天皇勅額(小野道風筆)等の宝物が納められている。

     
    (写真8)

     
    (写真9)
     

     (写真8、9)は阿弥陀堂の南西に東向きに建つ不動堂である。弘法大師が平安の始め、眼病に悩む人達のため、不動明王に病魔退散を祈願されたところ、霊験あらたかであったため、石不動明王を刻んで岩窟中に安置したと伝えられている。

     
    (写真10)

     
    (写真11)
     

     (写真10)は不動堂内部で、中央のガラス越しに見えるのが岩窟中にある不動明王(写真11)、堂内右手に安置されているのが愛染明王(あいぜんみょうおう)である。

     
    (写真12)

     
    (写真13)
     

     (写真1213)は不動堂の左手前石垣下にある瀬和井の泉と鏡石である。鏡石は西行法師がこの寺で出家した時(1140)、この石を鏡の代わりに使い、頭を剃ったと伝わっている。

     
    (写真14)

     
    (写真15)

     
    (写真16)
     

     (写真14)は鏡石の南東にある鐘楼、(写真1516)は鐘楼の東側にある西行桜である。

     
    (写真17)

     
    (写真18)
     

     (写真1718)は鐘楼の西側にある池とその中に立つ魚籃(ぎょらん)観音である。

     
    (写真19)

     
    (写真20)
     

     (写真19)は境内中央南側にある冴野の沼、(写真20)は境内の中央部に見られる大半が染井吉野の桜である。

       花見んと むれつつ人の くるのみぞ

          あたらさくらの とがにはありける(西行法師)

       地にとどく 西行桜 したしけれ(虚子)

    2014.4.3.訪問)

    0473大徳寺聚光院(Jukoin Temple)

    • 2014.04.21 Monday
    • 21:57
     聚光院(じゅこういん)は、大徳寺の塔頭で、永禄九年(1566)、三好善嗣(よしつぐ)が亡養父・三好長慶(ながよし)の菩提を弔うため、大徳寺第百七世笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)和尚を請じて建立した寺である。聚光院の名は、三好長慶の法名「聚光院殿前匠作眠室進公大禅定門(じゅこういんでんぜんしょうさみんしつしんきんだいぜんじょうもん)」に由来する。また、笑嶺宗訢和尚に参禅した千利休が檀越(だんおつ)となり、茶道三千家(武者小路千家、表千家、裏千家)の菩提寺となっている。
     方丈内部には、狩野松栄・永徳父子の筆による桃山時代を代表する障壁画「瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)」「竹虎遊猿図(ちくこゆうえんず)」「花鳥図(かちょうず)」「琴棋書画図(きんきしょがず)」があり、全て国宝に指定されている。
     茶室は「閑隠席(かんいんせき)」と「枡床席(ますどこせき)」があり、共に重要文化財に指定されている。「閑隠席」は寛保元年(1741)、表千家七世 如心斎が、千利休150回忌に創建したものである。千利休好みの三畳中柱で、点前座を一段低くし、それにより客座を上段の間のように見せている凝った造りである。
     「桝床席」は「閑隠席」の露地を通り抜けたところにある茶室で、枡形(正方形)の踏込床があるため「桝床席」と称され、表千家六代 覚々斎原叟好みといわれている。

    方丈庭園は千利休の作といわれ、「百積庭(ひゃくせきてい)」と称して国の名勝に指定されている。

     
    (写真1)

     (写真1)は第48回京の冬の旅非公開文化財特別公開の「聚光院」看板で、写真に出ているのは「閑隠席」である。

     
    (写真2)

     (写真3)

     (写真4)


     (写真2、3)は山門、(写真4)は山門を入った右手にある石庭である。

     
    (写真5)

     
     (写真6)


     (写真5)は庫裡、(写真6)は唐門で、内部は庫裡から入って拝観できるが、庭園を含めすべて撮影禁止となっている。

     
    (写真7)

     (写真7)は拝観受付で受け取った方丈南庭「百積の庭」の絵はがきのコピーで、横山健蔵氏が撮影されたものである。(2014.3.13.訪問)

     

    0472大徳寺芳春院(Hoshunin Temple)

    • 2014.04.21 Monday
    • 21:37
     芳春院(ほうしゅんいん)は、慶長十三年(1608)、加賀の前田利家の夫人芳春院が、玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開祖として建立した大徳寺の塔頭で、前田家の菩提寺である。建物はその後火災に遭い、現在の本堂は明治初年に建てられたものである。
     本堂背後には、飽雲池(ほううんち)を前にした二重の樓閣、呑湖閣(どんこかく)があり、樓閣山水庭園として名高い。樓閣の上層から望む比叡山の背後の「琵琶湖を飲み干す」という意味を持つ。金閣(鹿苑寺)・銀閣(慈照寺)・飛雲閣(西本願寺)の京の三閣に加えて「京の四閣」とされる呑湖閣は、元和(げんな)三年(1617)に前田利家の子利長が、小堀遠州に依頼して建てたものと伝えられるが、現在の建物は文化元年(1804)に再建されている。池の上に架かる打月橋(だげつきょう)には、開祖玉室の筆による「打月」の二字の額を掛けている。池中には、かきつばたやすいれんが多く、花時は見事である。庭園は度々改造されてはいるが、なお創建時の面影を伝えている。
     墓地には、芳春院の霊屋(みたまや)、かの東寺百合文書の整理を行った前田綱紀(つなのり)の霊屋をはじめ、前田家代々の墓がある。

     
    (写真1)

     (写真2)

     (写真3) 

     (写真1、2)は山門、(写真3)は山門から奥に延びる参道である。

     
    (写真4)

     紅葉の頃は参道両側の紅葉が美しい。(写真4)はその一例である。

     
    (写真5)

     (写真5)は参道の突き当たりを右に折れたところに見える三門とその東側にある鐘楼である。

     
    (写真6)

     (写真7)

     (写真6)は三門、(写真7)は鐘楼をそれぞれ近くから撮ったものである。

     
    (写真8)

     (写真9)

     (写真8)は三門を入って左手にある庫裡、(写真9)は西側にある唐門である。

     
    (写真10)

     (写真11)

     (写真12)

     (写真10)は唐門とその正面にある花頭窓、(写真11は花頭窓を通して見た方丈前庭の枯山水庭園「花岸庭」、(写真12)は方丈と「花岸庭」である。唐門を入ってからは、すべて撮影禁止になっている。(2013.11.21.訪問)


     

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