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- 2019.05.01 Wednesday
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浄土院から石灯籠のある道(写真1)を10分足らず歩くと、右手に宝形造、銅板葺、正面に向拝のあるお堂が見えてくる。これが椿堂で、本尊には十一面観音が安置されている。 90日間一日も休むことなく座禅して座り続ける常坐三昧道場として用いられている。
(写真2)
(写真3)
(写真2)は椿堂の左手側面を前方上方から、(写真3)は同じ左手側面を後方上方から撮った写真である。
(写真4)
(写真4)は椿堂左手前にある鐘楼を上方から撮ったものである。
聖徳太子が、比叡山に宝塔が現れるのを見て比叡山に登られ、常に護持していた観音像を祀り、お堂の傍らに、使っていた椿の木の杖をさして置いたところ、そこから椿の芽が出て大きく育ったといわれる。お堂の左手に、椿の木が植えられている。(2012.3.27.訪問)
西塔バス停横の駐車場から椿堂の方へ下りてきた道が、丁度浄土院から椿堂に通じる道にぶつかった所の北側に箕淵弁財天がある。
(写真1)
(写真2)
(写真1)はその鳥居、(写真2)はその奥にある拝殿である。
箕淵弁財天は、東塔の無動寺弁財天(0057弁天堂参照)、横川の箸塚弁財天と共に比叡山三弁財天の一つに数えられている。
(写真3)
また、箕淵弁財天の北側、にない堂に向かう参道の左手に「親鸞聖人ご修行の地」の碑がある(写真3)。親鸞聖人は、この地にあった聖光院で念仏三昧の行を行ったと言われている。(2012.3.27.訪問)
(写真2)は西塔エリアの看板を写したもので、山王堂が東塔と西塔の境目になる。
浄土院は、比叡山の開祖・伝教大師最澄の廟所で、比叡山中で最も清浄な聖域とされている。
(写真3)
(写真4)
(写真3)は浄土院正面の門から内部を撮った写真で、(写真4)は浄土院本堂である。
大師は一生を大乗戒坦院の独立に捧げ、弘仁十三年(822)6月4日、中道院に於いて56歳で入寂した。弟子の慈覚大師円仁が、仁寿四年(854)7月この地に中国五合山竹林院を模して廟所を建立し、大師の遺骸を祀った。以来御廟を守る僧侶を待眞といい、一生山を下りない覚悟で昼夜を分かたず、厳しい戒律のもとに心身を清浄にして、生身の大師に仕えるように、今も霊前の給仕に明け暮れている。待眞は、早暁より薄暮まで勤行と掃除勉学修行に励んで、12年間山を下りない籠山修行の内規に則って生活している。
(写真5)
(写真6)
(写真5)は御廟全景、(写真6)はその正面拡大写真である。御廟は浄土院の後方に建てられている。
(写真7)
(写真7)は御廟中央の扁額で「傳教」の字が読み取れる。
(写真8)
(写真9)
(写真8)、(写真9)は御廟の左右軒下に見られる猿の彫刻である。御廟前玉垣の辺りには、極楽浄土の雰囲気を醸し出すため、沙羅双樹と菩提樹が植えられていた。(2012.3.27.訪問)