スポンサーサイト

  • 2019.05.01 Wednesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -
    • -

    0715転法輪寺(Temporin-ji Temple)

    • 2019.04.30 Tuesday
    • 18:39

      転法輪寺(てんぽうりんじ)は、御室仁和寺の東門から北東徒歩5分の距離にある浄土宗知恩院派の寺院で、山号は獅子吼山(ししくさん)。通称「関通さん」と呼ばれ、「御室大仏」とも称されている京都最大級の仏像や、裸の阿弥陀如来像が祀られていることで知られている。

     開基の関通上人(16961770)は、この世に苦しむ人々を極楽浄土に導くために自ら「関所を通す」として「関通」と名乗ったといわれ、このため「関通さん」と称されて信仰されていた。初め上京区東三本木通丸太町上ル(鴨川の西岸近く)にある轉輪寺(現在の三本木圓通寺)に住持し、専修念仏を世の人々に説いていたが、その地の狭隘を憂い、別の地を探求されていたところ、洛陽の西の方、一条通の突き当たり北野の地を通られたとき、「この所こそ求むる西方にして、究竟一乘の浄土門弘通に最も適せる勝地なり」と、この地に念佛道場の建立を懇請された。その後、宝暦6年(1756)春、関通上人は、北野の地に、廃寺になっていた円通寺を譲り受け、寺名を変えて轉法輪寺を創始された。そして、宝暦8年(17584月に殿堂庫裡が竣工し、本尊の阿弥陀如来坐像の新彫が完成し、開眼供養、入仏大会の法要が行われた。

     大正時代になって、山下現有僧正(後の総本山知恩院第79世門跡)を住持に迎え、隆盛の時期にあった。創始当時は、京の西の果てだった北野の地も、既に町中にあり「轉法輪寺の阿弥陀様は西方におられるべき」とされたことより、昭和3年(1928)、山下現有僧正を継いだ山下俊孝和尚を中心として、さらに西方である御室の現在の地(龍安寺山田町)へ移転されたのである。

     本堂に安置されている本尊の阿弥陀如来坐像は、高さ24尺(約7.5m)あり「御室大仏」とも称されている京都最大級の仏像で、宝暦8年(1758)、関通上人により、桜町天皇追福のために新彫され、開眼供養が行われた。光背の中央には桜町天皇御追福のために納められた鏡が飾られており、胎内には、桜町町天皇直筆の御名号、新中和門院の御祈願文、典侍即心院殿の御祈願文、関通上人の御念持佛(阿弥陀如来)一体、関通上人御染筆の造立意願文などが納められているといわれている。

     本尊背後の厨子内に安置されている「裸形阿弥陀如来立像」は、裸のままの童姿であり、日本に五体あるうちの一つで珍しい像であり、名工 賢問子の作といわれている。高さ三尺ほど(約90cm)あり、天智天皇の誕生にまつわる縁起によって作られ、安産守護のご利益があるといわれている。この「裸形阿弥陀如来立像」にまつわる故事は、次のようなものである。

     皇極天皇元年(642)頃、舒明天皇と皇后(後の皇極天皇)の間には皇子がおらず、春日の明神を後宮に勧請して皇子生誕の祈請を日夜行われた。皇后は懐妊されるが、陰陽の博士や僧侶達が占うと、必ず女の子だと言われる。皇后は、春日の明神に、「世継ぎの御子が誕生されることを願ってきたのであって、この皇女を皇子と変えてください。」と21日間の祈願を行われた。すると、夢に春日の明神が現れ「西方にいる阿弥陀様の四十八願の中には変成男子(女性は男性に変わって極楽に生まれることができる)という大願がある。願いが叶うよう、その阿弥陀様をこちらにお迎えして参ります。」と言われると、辺りに光明が輝き、裸のお姿で子供の姿をされた阿弥陀様が現われ、皇后の口の中に入られたという思いをして、眠りから覚められた。その後、皇后は少しの悩み苦しみもなく、皇子(後の天智天皇)を安産された。皇后は、名工 賢問子を召き、夢のお告のことを語り、裸形の阿弥陀如来立像を作られ、天智天皇の御守本尊として祀られた。 
     毎年、2月の涅槃会に合わせて、1ヶ月ほどの間、本堂外陣の壁面いっぱいに掛けられる「釈迦大涅槃図(しゃかだいねはんず)」は、縦5.3m、横3.9mの絹地に、釈迦の誕生から入滅までの様子が描かれている。1764年の作といわれるが、作者は不明である。

    (写真1)

    (写真2)

     (写真1)は「関通轉法輪寺」と刻まれた入り口の石標、(写真2)はその後方に立てられた「第53回京の冬の旅」特別公開の案内板である。

    (写真3)

     (写真3)は南門に相当する「鐘楼門」で、鐘楼と楼門が1つになった、単独の建物となっている竜宮造の門である。

    (写真4)

    (写真4)は楼門中央のくぐり抜けとなっている境内への参道で、「獅子吼山」の扁額が掛かっている。

    (写真5)

    (写真5)は楼門の上に釣られた大きな釣り鐘で、高さ9尺(2.7m)、直径42寸(1.2m)、 重さ一千貫目(約4t)にも及ぶ。この大梵鐘は、明和元年(1764)に、桜町天皇御菩提のために鋳造されたもので、形状の高さ9尺は、九界の衆生済度を表し、直径の四尺二寸は、菩薩四十二位を表すといわれる。

    (写真6)

    (写真7)

    (写真6)は楼門をくぐり抜けた右手にある庫裡と客殿、(写真7)は左手の境内で、裳階(もこし)付きの建物は本堂である。

    (写真8)

    (写真9)

    (写真8)は「轉輪寺」と刻まれた参道手前角にある手水鉢、(写真9)は本堂への参道で、テントの奥が拝観受付の玄関になっている。

    (写真10)

    (写真11)

    (写真12)

    (写真10)は両側に花頭窓がある本堂、(写真11)は参道東側にある庫裡(右)と客殿(左)、(写真12)は本堂の東側の庭園を客殿への渡り廊下から撮ったものである。客殿にもいろいろな展示があり、甘茶とせんべいの接待がなされていた。

    (写真13)

    (写真14)

    (写真15)

     (写真1314)は本尊の阿弥陀如来坐像、(写真15)は本尊の右手前にある楠の大木から作られた大木魚で、縦横4尺(1.2m)、高さ1m、重さ約200kgあり、一本の木材から作られた木魚としては小樽龍徳寺の4尺半の大木魚に次いで二番目に大きい木魚である。

    (写真16)

    (写真17)

     (写真16)は釈迦大涅槃図の全体、(写真17)はその中の釈迦周辺部分を拡大したものである。

    (写真18)

    (写真19)

     (写真1819)は釈迦大涅槃図の左右最下部に描かれたいろいろな動物を拡大したものである。

    (写真20)

     (写真20)は本尊の背後に安置された裸形阿弥陀如来立像である。但し、腰には袴が着けられている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    (写真21) 

     (写真21)は境内西側にある西門で、こちらから入ると左手(北側)に本堂がある。

     なお、轉法輪寺は住職の方針で本堂内部も含め、写真は何処でも撮影可能となっているのは、非常に有り難かった。(2019218日訪問)

     

    スポンサーサイト

    • 2019.05.01 Wednesday
    • 18:39
    • 0
      • -
      • -
      • -
      • -
      コメント
      コメントする








          
      この記事のトラックバックURL
      トラックバック

      PR

      calendar

      S M T W T F S
          123
      45678910
      11121314151617
      18192021222324
      25262728293031
      << August 2019 >>

      selected entries

      categories

      archives

      recent comment

      links

      profile

      search this site.

      others

      mobile

      qrcode

      powered

      無料ブログ作成サービス JUGEM