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    0707和中庵(Wachu-an Old House)

    • 2016.10.14 Friday
    • 09:46

     和中庵(わちゅうあん)は左京区鹿ヶ谷桜谷町、ノートルダム女学院中学高等学校の敷地内に建つ邸宅で、滋賀県近江五箇荘(ごかしょう)出身の繊維製造販売業者、藤井彦四郎(ふじいひこしろう、18761956)が贅を尽くし、粋を凝らして建てたものである。鹿ヶ谷の山裾の林を開拓して造った広大な庭園がある。昭和二十四年(1949)にノートルダム教育修道女会が取得。修道院として改造、利用した後、平成二十年(2008)にノートルダム女学院中学高等学校に移管された。

     ノートルダム女学院中学高等学校発行のパンフレットによると、「藤井彦四郎は、日本の化学繊維市場の礎を築いたパイオニアの一人と言われる。彦四郎は、フランスにおいて人工絹糸(レーヨン)が発明されたことを知ると、フランス、ドイツから見本品を輸入し「人造絹糸」と名付けて宣伝活動を行った。大正期になると帝国人造絹絲(現・帝人)や旭絹織(現・旭化成)などにより人造絹糸の国産化が図られるが、彦四郎は工場経営は行わず毛糸事業に重点を移し、共同毛織、共同毛糸紡績(現・倉敷紡績)を興して『スキー毛糸』のブランドで成功をおさめ財を成した。

     大正15年(1926年)、彦四郎は、大文字山のすそ野、法然院・安楽寺・霊鑑寺門跡に続く鹿ヶ谷桜谷町の土地一万数千坪を取得した。山のすそ野でありまた広大な敷地でもあったこの土地の開発には大変な労力を費やすことになるが、彦四郎は時問をみては現地に足を運んで指示を与えている。大正十五年(1926)から、彦四郎の陣頭指示のもと、工事に取り掛かった。そして本邸とともに、長男正次郎・次男繁次郎・分家栄之助・三郎らの住宅も建築した。

     本邸は彦四郎の友、漢学者長尾雨山により、『何事にも偏らず公平に』をモットーとして『和中庵』と命名された。

     昭和二十三年(1948)にノートルダム教育修道女会のセントルイス管区本部の4名のシスターが来日し、京都でいくつかの物件を検討している。その年の12月に、ようやくこの和中庵と出会う。そして、クリスマスの数日前に取得することとなった。この和中庵は彦四郎から引き継がれて藤井家の兄弟姉妹の持ち物だったが当時は空き家となっていたものだった。

     当時彦四郎は『戦後になって、もう私達はこんな大きな家には住まない。どうぞ全部ご自由にお使いください。』とシスターに伝えたそうだ。このようにして和中庵の土地と建物は、藤井家からノートルダム教育修道女会へと売却されることとなった。

     和中庵は清貧を誓って人生を歩もうとするシスターたちの修道院としての役割を果たすため、シャンデリアは蛍光灯に、お座敷の畳は全て板張りに、洋館も聖堂として使われ、すっかり内部の佇まいは変容したまた、多い時には60人ものシスターやシスターの養成期の修練者たちが生活を営んでいたのである

     やがて、シスターたちの高齢化に伴い、修道院としての役割を終えて、平成二十年(2008)年春シスターの引越しが完了。ノートルダム女学院中学高等学校に移管された。

     そのころの和中庵の状態は老朽化が進み、教育施設として活用するには多くの費用を要するため、一時は解体が決定された。しかし、関係者の保存への思いが多くの人々を動かすと、状況は一変。残念ながら、主屋はとり壊すことになったが、その他の、洋館、奥座敷(客殿)、蔵、お茶室については最小限度の改修工事と耐震工事を施すことにより、平成二十六年(2014)から平成二十七年(2015)の2年間の改修工事を経て教育施設として活用できることになり、現在に至っている。」

     

     (写真1)

     

     (写真2)

     

     (写真3)

     

     (写真1)はユージニア館の全景、(写真2)はその正面、(写真3)はその前に立てかけられた「第41回京の夏の旅特別公開」の立て看板である。ユージニアの名は、ノートルダム女学院中学高等学校初代校長のシスター ユージニア・レイカーから採ったものである。

     

     (写真4)

     

     (写真5)

     

     (写真4)はユージニア館1階の礼拝堂、(写真5)はその講壇部分で、質素な感じがするが、ステンドグラスが美しい。

     

     (写真6)

     

     (写真7)

     

     (写真8)

     

     (写真6〜8)はステンドグラスの一部である。

     

     (写真9)

     

     (写真9)はユージニア館の左(北)奥に建つ木造二階建ての洋館で、平成二十年(2008)まではノートルダム教育修道女会の修道院として使用されていた。

     

     (写真10)

     

     (写真10)は洋館1階の洋間で、寄木細工の床や暖炉等が昔を偲ばせる。

     

     (写真11)

     

     (写真12)

     

     (写真11)は洋館2階の広間で、二間続きになっており、床は1階同様の寄木細工、ピアノや(写真12)のような暖炉も見られる。

     

     (写真13)

     

     (写真14)

     

     (写真15)

     

     (写真13)は洋館の2階から、東側に建つ日本家屋の客殿に通じる渡り廊下、(写真14)は渡り廊下から南側を見下ろした景色、(写真15)は同じく渡り廊下から客殿の方を撮ったものである。客殿は平屋建てであるが、傾斜地の上方に建っているため、洋館の2階と渡り廊下でつながっている。

     

     (写真16)

     

     (写真17)

     

     (写真18)

     

     (写真16は庭から見た客殿、(写真17)は客殿の渡り廊下から入ったところにある部屋、(写真18は三間続きの書院造り座敷になっている客殿奥の間である。

     

     (写真19)

     

     (写真20)

     

     (写真21)

     

     (写真19)は客殿奥の間から見た南側の庭園、(写真20)は同庭園の西側、(写真21)は同庭園の中央部分である。巨大な沓脱石と井戸が目につく。

     

     (写真22)

     

     (写真23)

     

     (写真22)は客殿奥の間東側の庭園、(写真23)はその左(北)側築山の上にある大きな石灯籠である。

     

     (写真24)

     

     (写真24)は洋館を出た正面(西側)にある土蔵(現在はノートルダム女学院の施設として利用)である。

     

     (写真25)

     

     (写真26)

     

     (写真27)

     

     (写真25)はユージニア館の南側にあるノートルダム女学院中学高等学校の校門、(写真26)は校門を入って左(東)側にある玄関、(写真27)は南側にのびる校舎である。(2016.8.19.訪問)

     

    *ノートルダム女学院中学高等学校発行の和中庵パンフレットより

     

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