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    0705建仁寺正伝永源院(Shoden Eigen-in Temple)

    • 2016.09.19 Monday
    • 10:23

     正伝永源院(しょうでんえいげんいん)は、大本山建仁寺の北部にある臨済宗建仁寺派の境外塔頭の一つで、建仁寺第三十九世無涯仁浩(むがいにんこう)が創建した。もと永源庵と称したが、明治六年(1873)廃寺となったため祇園にあった正伝院をこの地へ移し、のち「永源」の名を受け継ぎ現在の院名正伝永源院に改めた。

     釈迦如来を本尊とし、客殿・庫裡・鐘楼・唐門のほか、表門の左手に織田有楽斎や近親者の墓がある。寺宝には有楽斎に関する遺品が多い。

     有楽斎は、織田信長の弟で本名を長益(ながます)といい、茶人として有楽斎という号を使っていた。信長の死後は剃髪し、千利休に師事して茶道の宗匠となった。晩年は祇園花見小路四条下ルに正伝院を再興し、そこで茶道三昧の生活を送ったが、元和七年(1621)に七十五歳で亡くなった。

     有名な国宝茶室如庵(じょあん)は、有楽斎がそこで丹精込めて完成させた。現在は所有が変わり愛知県犬山市に移転しているが、平成八年(1996)には、ゆかりの寺である当院に如庵が復元された。

     有楽斎の墓は正伝院の移転後も旧地に残っていたが、昭和三十七年(1962)秋、有楽斎夫人、息女そして孫の織田長好(ながよし)の三基と共にここに移された。現在も各地に有楽流の茶道が受け継がれている。

     

     (写真1)

     

     (写真1)は正伝永源院の築地塀で、特別拝観の看板が立てかけられている。看板の写真は客殿室中の間にある狩野山楽筆の蓮鷺図(れんろず)襖絵である。

     

     (写真2)

     

     (写真3)

     

     (写真2、3)は山門で、右手手前に設けられた小屋は特別拝観の案内所である。

     

     (写真4)

     

     (写真4)は山門手前右手にある駒札横のコーナー部にある「有楽流祖 如庵織田有楽斎墓所」の石標である。

     

     (写真5)

     

     (写真6)

     

     (写真7)

     

     (写真5)は山門正面奥の庫裏と玄関、(写真6)は鎮守社、(写真7)は鐘楼である。

     

     (写真8)

     

     (写真8)は山門を入って左(南)側にある中門で、ここをくぐると墓が沢山並んでいる。

     

     (写真9)

     

     (写真10)

     

     (写真9、10)中門を入って直ぐ右(西)側にある織田有楽斎と一族のお墓である。昭和三十七年(1962)秋、(写真9)の織田有楽斎(右側)と正室 雲仙院(左側)、(写真10)の織田頼長(次男)の長男 織田長好(右側)と織田頼長 娘・一条昭良正室(左側)のお墓が、旧正伝院の地から現在の地に移された。織田有楽斎のお墓には「正伝院殿如庵有楽大居士」とある。江戸時代初期の制作で、花崗岩製、切石、基礎は単弁反花、露盤宝珠がのっている。

     

     (写真11)

     

     (写真11)は参道をはさんで織田有楽斎の墓の向かい側にある細川家歴代のお墓で、これも旧正伝院の地から移されてきている。左手前の石に「細川石」と刻まれているのが見える。

     

     (写真12)

     

     (写真12)はその右(南)側に隣接する福島正則とその家臣のお墓である。賤ヶ岳の七本槍の一人である福島正則は、永源庵に住んでいたことがあるといわれており、その父親 福島正信のお墓もある。

     

     (写真13)

     

     (写真14)

     

     (写真15)

     

     (写真13)は方丈に通じる唐門、(写真14)は方丈で、中央には「正伝院」、「永源庵」二つの扁額が並べて掛けられている(写真15)。

     

     (写真16)

     

     (写真17)

     

     (写真18)

     

     (写真1617)は方丈の杉戸絵、(写真18)は福島正則が寄進したといわれる朝鮮鐘である。

     

     (写真19)

     

     (写真20)

     

     (写真21)

     

     (写真192021)は方丈南庭園をそれぞれ東側、中央、西側から撮ったものである。池泉式庭園で池には石橋が架けられ、築山には五重石塔が建てられている。

     

     (写真22)

     

     (写真23)

     

     (写真2223)は方丈南庭園の西端に造られた茶室「如庵」の写しである。織田有楽斎が旧正伝院に建立し、現在は有楽苑(愛知県)に移築された茶室「如庵」(国宝)が「写し」として復元・建立されたもので、「鱗板(うろこいた)」「有楽窓」など有楽斎好みの特徴がある。「如庵」の扁額は、旧肥後熊本藩藩主 細川家第十七代当主 細川護貞の揮毫による。

     

     (写真24)

     

     (写真25)

     

     (写真2425)は方丈西庭園で蹲踞がある。(2014.3.15.訪問)

     

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