0701建仁寺大統院(Daitoin Temple)

  • 2016.08.01 Monday
  • 21:29

 大統院(だいとういん)は、建仁寺の塔頭一つで、建仁寺の南東の隅にたち、別格地とされる。古澗慈稽(こかんじけい)や日政(にっせい)など、名僧を輩出したことで知られる。

 南北朝時代、夢窓疎石の弟子で、建仁寺夢想派の建仁寺四十三代住持 青山慈永仏観禅師(せいざんじえいぶっかんぜんじ)によって創建されたといわれる。

 天文五年(1536)、延暦寺の衆徒が、法華宗の洛中21ヶ寺本山を襲った天文法華の乱により焼失。江戸時代初期、古澗慈稽禅師のとき、禅師に帰依した長谷川守尚(大統院殿虎峯宗降居士)の発願により再建が始まった。

 寛永十四年(1637)、住持 九厳中達禅師に帰依した長谷川守尚の子 長谷川正尚により再建が完成した。その頃、儒者 林羅山(1583〜1657)が寓居していたといわれている。

 大正十三年(1924)、表門と唐門を残して焼失したが、昭和五年(1930)、本堂のみが再建された。昭和三十年(1955)に復興が始まり、平成二十一年(2009)に本堂前庭が完成したことで復興が完成した。

 

 (写真1)

 

 (写真1)は建仁寺(0700参照)境内南端の道を東に入って行く大統院の参道で、突き当たりに山門がある。

 

 (写真2)

 

 (写真2)は山門で、通常は非公開であるが、訪問した時は、左手前方に「平成二十七年度秋期特別公開」の看板が立てられ、公開されていた。

 

 (写真3)

 

 (写真4)

 

 (写真5)

 

 (写真3〜5)は山門を入ってから本堂までの参道で、正面奥に見えるのが本堂、左手は庫裡である。

 

 (写真6)

 

 (写真7)

 

 (写真6、7)は参道左(北)側の庫裡である。

 

 (写真8)

 

 (写真8)は唐門で本堂への玄関口となっており、特別公開の受付がある。

 

 (写真9)

 

 (写真9)は本堂で、内部には円山応挙筆の「幽霊画」、円山派鈴木松年筆の「骸骨之図」、独特のユーモラスな画風で知られる白隠慧鶴筆の「蛤蜊観音図」、江戸時代末期の陶芸家 奥田頴川(おくだえいせん)作の「赤絵十二支四神鏡文皿(あかえじゅうにししじんきょうもんざら)」等の寺宝が展示公開されていたが、写真撮影は禁止であった。

 

 (写真10)

 

 (写真11)

 

 (写真12)

 

 (写真10〜12)は本堂南側にある市松模様の庭を西、中央、東と順に撮ったもので、ツツジの築山を背景に、格子状に白砂と苔が置かれている。平成二十一年(2009)北山安夫の作庭によるもので、建仁寺派管長小堀泰厳老大師によって「耕雲庭」と命名されている。

 

 (写真13)

 

 (写真14)

 

 (写真13、14)は北西の角から撮った「耕雲庭」である。

 

 (写真15)

 

 (写真16)

 

 (写真15)は北庭、(写真16)は西庭である。(2015.11.6.訪問)

 

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