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- 2019.05.01 Wednesday
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恵美須神社(えびすじんじゃ)は東山区大和大路通四条下ル小松町、建仁寺の西にある神社で、祭神として、事代主神(ことしろぬしのかみ)〔えびす神〕、少彦名神(すくなひこなのかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)を祀る。「えべっさん」の愛称で親しまれ、商売繁盛・交通安全(海路安全)の神として信仰されている。西宮神社、大阪今宮神社とともに日本三大えびすの一つであり、都七福神めぐりの一つでもある。
社伝によれば、平安時代末期の建久二年(1191)、栄西禅師が宋よりの帰途、舟が暴風雨に遭い遭難しそうになったが、海上に恵美須神が現れ、その加護により難を免れたといわれる。鎌倉時代初期の建仁二年(1202)、栄西禅師が建仁寺創建に当たり、境内に恵美須神を祀り、建仁寺の鎮守社としたのが当社の起こりである。応仁の乱後、建仁寺再建の際も同所に再建され、今もなお当地の産土神(うぶすながみ)として人々の崇敬を受けている。
境内の岩本社には、平安時代の歌人在原業平(ありわらのなりひら)を祀っている。また、財布塚・名刺塚は、古くなった財布や名刺の供養のため築かれたものである。
毎年1月10日を中心として前後五日間行われる「十日えびす」の大祭には、全国各地から商売繁昌・家運隆昌・交通安全を祈願するため多くの人が参詣する。
(写真1)
(写真2)
(写真1、2)は大和大路通に面した恵美須神社一ノ鳥居で、鳥居右(北)側には「恵美須神社」の石標が立っている。また、一ノ鳥居を潜ると直ぐに冠木門があり、本殿までの参道には二ノ鳥居が見える。
(写真3)
(写真3)は二ノ鳥居で、中央にはえびすの顔が掲げられている。
(写真4)
(写真4)は冠木門を入った左(南)側にある手水舎で、龍の口から水が注がれている。
(写真5)
(写真5)は二ノ鳥居の左(南)側にある社務所である。
(写真6)
(写真7)
(写真8)
(写真6)は冠木門を入った右(北)側を撮ったもので、奥に赤い賽銭箱が見えるのは左側が松下幸之助の寄進した財布塚、右側が京都の実業家吉村孫三郎の揮毫による名刺塚である(写真7)。また(写真6)の左手(西側)に二つの恵美須像が並んでいる(写真8)。
(写真9)
(写真10)
(写真11)
(写真9、10)は恵美須像の西側奥に南向きに建つ天満宮、(写真11)は天満宮の左横に祀られた白太夫社である。
(写真12)
(写真12)は本殿の北側奥、境内の北西コーナー部を北向きに撮ったもので、正面に岩本稲荷社がある。
(写真13)
(写真14)
(写真13)はその左コーナー部にある北野天満宮遙拝所、(写真14)は遙拝所南隣に東向きに建つ末社の猿田彦神社(右)と八幡神社(左)である。
(写真15)
(写真16)
(写真17)
(写真15、16)は参道正面奥の拝殿外観とその内部(奥は本殿)、(写真17)は拝殿を南横側から撮ったものである。
(写真18)
(写真18)は本殿を南側から撮ったもので、中央部に注連縄をした参拝所がある。
(写真19)
(写真19)はその参拝所で、本殿正面の拝殿で参拝後、この注連縄下の板を軽く叩いて再度お願い事をすると叶うといわれている。
(写真20)
(写真20)は本殿南側を通って西側の通りに出る西門で、門の屋根左手上部後方に本殿の屋根が見える。(2014.3.15.、2015.11.6.訪問)