0694妙心寺霊雲院(Reiunin Temple)

  • 2016.02.29 Monday
  • 23:42
 霊雲院(れいうんいん)は臨済宗妙心寺派の大本山妙心寺の塔頭で、四派(霊雲、龍泉、東海、聖澤の各派)本庵の一つ。狩野元信の障壁画があることから、別名「狩野元信寺」とも呼ばれる。
 室町時代後期の大永六年(1526)、細川家の重臣であった薬師寺一族の菩提を弔うために、 帰依した薬師寺備後守国長の室 霊雲院 清範尼(せいはんに)の援助を得て、妙心寺の第二十五世住持・円満本光国師 大休宗休(だいきゅうそうきゅう)が、その師 特芳禅傑(とくほうぜんけつ)を勧請開山として、自らは二世となり創建した。
 天文十二年(1543)、大休宗休禅師は、栂尾阿伽井房(とがのおあかいぼう)を移設して、方丈(ほうじょう)とし、隣に書院を建立した。大休宗休禅師は、龍安寺の特芳和尚の弟子で、特芳和尚が死去した直後に、龍安寺塔頭西源院に移った。
 後奈良天皇が、大休宗休禅師に深く帰依されて、しばしば行幸されたといわれている。

 
(写真1)

 
(写真2)

 
(写真3)

 (写真1、2)は山門、(写真3)は山門前に立てられた「50回記念京の冬の旅」の看板で、案内によると霊雲院は39年ぶりの特別公開という。

 
(写真4)

 
(写真5)

 
(写真6)

 (写真4)は山門を入って左手にある玄関、(写真5)は玄関の右(北)側に隣接する庫裡、(写真6)は庫裡の右手前に南向きに建つ建物である。

 
(写真7)

 (写真7)は玄関右手前に立つ観音像である。

 
(写真8)

 (写真8)は山門の南側にある拝観入口(写真手前右側)で、築地塀には五本の線、その瓦には菊の御紋が見られ、皇室にゆかりのある寺格の高い寺院であることが分かる。築地塀の奥に見える鐘楼には有名な国宝黄鐘調の鐘(0046参照。但し、現在の梵鐘は1974年に取り替えられたもの)が吊されていた。

 
(写真9)

 
(写真10)

 (写真9、10)は唐門で、内部を拝観するにはここから入る。ここから内部は建物も庭園もすべて撮影禁止であるが、入って直ぐが方丈であり、天文十二年(1543)、栂尾の阿伽井房(あかいぼう)(十無尽院)を移築したものといわれている。但し、現在の方丈は江戸時代(1693)に再建されている。

 
(写真11)

 
(写真12)

 (写真11)は拝観券の写真に出ている方丈庭園で、樹齢三百年といわれる五葉の松が西側に植えられている。(写真12)は唐門の前庭である。
 なお、写真にはないが、方丈の北西にある書院(重要文化財)は、天文元年(1532)頃の建立とされ、一重切妻造柿葺、三畳、五畳半棚附、四畳半床附の間がある。第105代・後奈良天皇は度々行幸し、御座所として使われたため、「御幸(ごこう)の間」と呼ばれた。銀閣寺東求堂内の同仁斎とともに、東山時代の小さい書院の代表的な遺構で、狩野元信の障壁画がある。
 書院南の庭園(国の史跡、名勝)は、縮小蓬莱枯山水庭園で、狭い敷地に、枯滝と蓬来山水の構成を兼ねた石組があり、室町時代、相国寺慈雲庵の子建西堂(法号、是庵)の作庭といわれている。
 また、山門左手前に「西田幾多郎先生墓」の石標が立っていたが、山内には『善の研究』で有名な哲学者西田幾多郎の墓がある。(2016.2.26訪問)

スポンサーサイト

  • 2019.02.28 Thursday
  • 23:42
  • 0
    • -
    • -
    • -
    • -
    コメント
    コメントする








        
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック

    PR

    calendar

    S M T W T F S
         12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    31      
    << March 2019 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM