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    0691閑院宮邸跡(Remains of the Kanin-no-miya Residence)

    • 2016.01.21 Thursday
    • 14:17
     閑院宮(かんいんのみや)邸跡は、京都御苑南西隅の一画、丸太町通の間ノ町口から入って直ぐ左(西)側にある。築地塀に囲まれていて、敷地面積は約9500m2ある。
     閑院宮家は伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家と並ぶ四親王家の一つで、宝栄七年(1710)に、東山天皇の第八皇子であった直仁親王を始祖として創立され、公家町南西部のこの場所に屋敷を構えた。創建当初の建物は天明の大火(1788)で焼失し、その後再建されているが、現在の建物との関係など詳細はわかっていない
     その後、天保十三年(1842)第五代愛仁親王が早世し、東山天皇の系譜が途絶え、明治五年(1872)伏見宮邦家親王の皇子易宮載仁親王が第六代として閑院宮家を継承された。明治十年(1877)には東京に移住され、昭和六十三年(1988)第七代純仁氏が逝去し、閑院宮は絶家となった。
     京都御苑には、明治二年(1869)の東京遷都までは、宮廷を始めとした公家の建物が建ち並んで公家町を形成していたが、東京遷都により公家屋敷の多くは空き家になり、中には料理店に貸し出されるまでとなったものもあるという。公家町としての特殊性が失われ荒廃していった様子を深く哀しまれた明治天皇は、明治十年(1877)御所保存・旧観維持を命じられ、京都御苑整備の原点ともいえる「大内保存事業」が始まった。これによって、殆どの建物は取り壊し整備されたが、現在、唯一御苑に残されている閑院宮邸跡のこの建物は創建以来の場所にあって、歴史的背景を知る上で大変貴重な遺構である**
     閑院宮邸は、閑院宮が東京に移られてからは、華族会館や裁判所として一時使用されたが、御苑の整備が一段落した明治十六年(1883)、宮内省京都支庁が設置され、屋敷も建て替えられたといわれている。
     第二次世界大戦後の昭和二十四年(1949)、京都御苑が国民公園となってからは、厚生省、のちに環境庁の京都御苑管理事務所などに使用されていた。平成十八年(2006)に改修工事を終え、京都御苑の自然と歴史についての写真・絵図・展示品・解説を備えた収納展示室と庭園などを開放している

     
    (写真1)

     (写真1)は京都御苑案内図で、左下(南西)コーナー部にあるのが閑院宮邸跡である。

     
    (写真2)

     
    (写真3)**

     (写真2)は「閑院宮邸跡」案内図で、右が北方向となっており、中央下部に東門がある。(写真3)は上空から見た閑院宮邸跡の全景である。

     
    (写真4)

     
    (写真5)

     (写真4)は東門、(写真5)は玄関で、左手にスロープがついて、バリアフリーになっている。

     
    (写真6)

     (写真6)は玄関の右(北)側にある建物で、現在「国民公園協会京都御苑」が使用している。

     
    (写真7)

     (写真7)は玄関手前の右(北)側にある独立した建物で、「環境省自然環境局京都御苑管理事務所」の表札が掛かっている。

     
    (写真8)

     
    (写真9)

     (写真8)は東側から見た「収納展示室」の外観、(写真9)はその南側廊下である。

     
    (写真10)

     
    (写真11)

     (写真10)は同じ収納展示室の西側に突き出た部分の外観、(写真11)はその屋根である。鬼瓦他いろいろな部分に菊の御紋が見られる。

     
    (写真12)

     
    (写真13)

     (写真12)は玄関から収納展示室への廊下(東側)から見た中庭、(写真13)は同じ中庭を対面のレクチャーホール側(西側)から見たものである。

     
    (写真14)

     
    (写真15)

     
    (写真16)

     (写真14〜16)は収納展示室内のいろいろな展示の一部で、(写真14)は「閑院宮邸の移り変わり」、(写真15)は「閑院宮邸跡庭園の復原整備」、(写真16)は「宮内省所長官舎跡」の各パネルである。

     
    (写真17)

     
    (写真18)

     
    (写真19)

     以下は建物の南側と西側に広がる庭園や官舎跡を撮ったもので、(写真17)は敷地南東部にある池、(写真18)は池と収納展示室の間の道を西方向に撮ったもので、(写真19)のように蔦の絡まる太い樹木も散見される。

     
    (写真20)

     (写真20)はレクチャーホールの西側にある土蔵で、この後方(西側)に宮内省所長官舎跡がある。

     
    (写真21)

     
    (写真22)

     (写真21)は官舎跡の区画を再現したもの、(写真22)は(写真16)のパネル内にも写真が載っていた当時の庭石で、貴船石が使用されている。

     
    (写真23)

     
    (写真24)

     (写真23、24)は官舎私室棟主室から眺めた庭園で、主室西南隅には円筒形の縁先手水鉢が据えられ、遣水の注ぐ池のほとりには雪見型燈籠が置かれている。(2015.10.22.訪問)
     
    引用文献:
    *環境省京都御苑案内図(閑院宮邸跡)(https://www.env.go.jp/garden/kyotogyoen/2_guide/map2_kaningu.html
    **上田聡「蘇る 京都御苑『閑院宮邸跡』(https://www.kkr.mlit.go.jp/kyoei/works/skill/H18_gijutukenkyu.pdf

     

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