0687わら天神宮(敷地神社)(Wara Tenjingu / Shikichi Jinja Shrine)

  • 2016.01.16 Saturday
  • 21:46
 わら天神宮は金閣寺の南、西大路通氷室道下ルにある神社で、正式名称は敷地神社(しきちじんじゃ)というが、通称「わら天神」、「はら帯天神」として知られている。
 古くから安産祈願で有名で、安産祈願のときに、わらのお守りが授けられ、そのわらに節があれば男の子、節がなければ女の子が生まれるという。
 創始された時期は不詳であるが、祭神の木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)は、古くから北山天神丘に祀られていたといわれる。現在のこの地には、北山の神さんとして葛野郡衣笠村に降臨した天神地祇が祀られていたといわれる。
 平安時代初期の天長五年(828)、淳和天皇(じゅんなてんのう)が、この地に勅使を派遣して、止雨を祈願したといわれる。また、天長八年(831)、この地に氷室が設けられ、その夫役として加賀国から移住した者が、崇敬していた菅生石部神社の敷地天神を勧請し、北山の神さんの隣に祀って、敷地天神の母神 木花開耶姫命を祭神に定めたといわれる。
 室町時代初期の応永四年(1397)、足利義満が、北山殿を造営するときに、敷地神社を鎮守神とするために両社を合祀して現在の地に移したといわれている。

 
(写真1)

 
(写真2)

 (写真1、2)は西大路通に面した一の鳥居で、「わら天神宮」の扁額が掛かり、右手前に「わら天神敷地神社」の大きな石標が立っている。

 
(写真3)

 
(写真4)

 (写真3)は一の鳥居を潜った後の参道で、突き当たりを直角に右(北)に曲がると二の鳥居があり、こちらには「天神宮」の扁額が掛かっている(写真4)。

 
(写真5)

 (写真5)は二の鳥居を潜った左(西)側にある手水舎で、水盤は貴船石、踏み石は鞍馬石である。

 
(写真6)

 (写真6)は参道右(東)側にある社務所である。

 
(写真7)

 
(写真8)

 (写真7)は社務所前から撮った境内で、手前左側にあるのが拝殿(写真8)、拝殿正面の奥にあるのが本殿、参道正面に見えるのが摂社の六勝(ろくしょう)神社である。

 
(写真9)

 
(写真10)

 
(写真11)

 (写真9、10)は正面から撮った本殿で、「わら天神宮」の扁額が掛かっている。また、(写真11)は西側から撮った本殿の側面である。

 
(写真12)

 
(写真13)

 (写真12、13)は本殿の右(東)隣にある摂社六勝(ろくしょう)神社で、「六勝大神」の扁額が掛かっている。六勝神社は、勝負事の神で、江戸時代、等持院門前村の産土神・六所明神を勧請したとみられている。祭神は穀物・農耕などの神・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ほか5柱を祀る。

 
(写真14)

 (写真14)は本殿と六勝神社を後方から撮ったもので、手前が六勝神社である。

 
(写真15)

 
(写真16)

 (写真15)は本殿の左(西)側に祀られた末社大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)、(写真16)は六勝神社の右(東)側に祀られた末社八幡神社(はちまんじんじゃ)である。

 
(写真17)

 
(写真18)

 (写真17、18)は末社綾杉明神(あやすぎみょうじん)で、樹齢千数百年に及ぶ神木綾杉の霊を祀っている。(2014.6.25.訪問)

 

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