0685本光寺(Honkoji Temple)

  • 2016.01.14 Thursday
  • 09:33
 本光寺(ほんこうじ)は下京区油小路通木津屋橋(塩小路より一筋北)上ル東側にある日蓮宗の寺院で、山号は実相山。創建の詳細は不明であるが、江戸時代の天和元年(1681)、日尭の開基によるという。
 慶応三年(1867)、門前で高台寺党盟主・伊東甲子太郎(いとうかしたろう、1835-1867)が暗殺され、その後、油小路の事件が起きたことで知られ、山門前にはそのことを説明した駒札と石碑が立っている。
 駒札によると「伊東甲子太郎は常陸(現在の茨城県)の出身で、学問もでき、剣は北辰一刀流の名手であった。
 元治元年(1864)に門弟ら七人を率いて新撰組に入隊し、参謀として重視された。しかし、尊皇派であった伊東は、次第に隊長近藤勇と相反するようになり、慶応三年(1867)三月に同志十五人とともに新撰組を脱退して御陵衛士となり、高台寺月真院を屯所とした。その後、薩摩藩の援助を受け、盛んに倒幕を説いた。
 しかし、新撰組との対立は深く、同年十一月近藤勇らは、伊東を招いて酒をふるまい、酔った伊東をその帰路、この地で刺殺した。
 この知らせを聞いた伊東一派は、直ちに駆け付けたが、待ち伏せしていた新撰組数十名の隊士に襲われ、三名が斬られた。世にこれを油小路七条の変という。」

 
(写真1)

 
(写真2)

 
(写真3)

 (写真1)は山門、(写真2、3)はその右手前にある「伊東甲子太郎外数名殉難之跡」の石碑と「伊東甲子太郎外数名殉難の地」の駒札である。

 
(写真4)

 
(写真5)

 (写真4)は山門を入ったところから撮った境内、(写真5)は山門を入って直ぐ右(南)側にある伊東甲子太郎の供養塔で「伊東甲子太郎絶命の跡」と刻まれた石碑が立っている。墓は戒光寺にある。

 
(写真6)

 
(写真7)

 
(写真8)

 (写真6)は中央の参道左手(北側)にある二つの小さな祠、(写真7)はその奥の庫裏、(写真8)は玄関である。(2015.11.5.訪問)
 
 

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