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    0682本妙寺(Honmyoji Temple)

    • 2016.01.11 Monday
    • 09:47
     本妙寺(ほんみょうじ)は左京区仁王門通東大路東入北側にある日蓮宗妙覚寺派の寺院で、山号は祥光山(しょうこうざん)。
     寺伝によると、鎌倉時代後期の正和四年(1315)、日蓮上人の法孫 日像(にちぞう)上人が洛北岩倉の地に巡行したとき、代官の渡辺氏が帰依し、その邸宅を寺院として創立したが、程なく中絶した。
     安土桃山時代の天正二年(1574)、本山妙覚寺十八世 日典(にちでん)上人が再興した。
     その後、宝永五年(1708)、宝永の大火で類焼したが、享保十三年(1728)、七世 日正(にっしょう)上人が、現在の地に、現存の重層造りの本堂を再建した。 
     当寺の鎮守鬼子母神像は、真言宗の僧から日像上人の弟子となった大覚上人の作で、日像上人が開眼したものといわれる。鬼子母神は、500人の子供をもつ母親であったが、他人の子供を捕えて食べてしまうため、釈迦が鬼子母神の末子を隠して子を失う母親の苦しみを悟らせ、仏教に帰依させたといわれる。子供守護・安産守護として信仰されている。
     本妙寺は通称「赤穂義士の寺(あこうぎしのてら)」とも言われ、義士討ち入り本懐自刃後の宝永元年(1704)、京都在住の赤穂浅野藩御用商人綿屋善右衛門が、かねてより昵懇の間柄であり、当寺を菩提寺と定めていた貝賀(かいが)弥左衛門、その兄 吉田忠左衛門、その息子 吉田澤右衛門(綿屋善右衛門の甥)の三義士と貝賀の妻おさんの四名の合祀石碑を建立している。
     貝賀弥左衛門の子孫九代目 斉藤トラが、昭和五年(1930)、赤穂義士の遺品五点と遺墨七十余点を奉納したので、義士堂を建立。祀られている四十七義士の木像とともに毎年十二月十四日の元禄義挙記念祭に一般公開している。
     なお、芝居で有名な天野屋利兵衛は、綿屋善右衛門をモデルにしたものともいわれている。

     
    (写真1)

     (写真1)は仁王門通に面した山門で、右手前に「鬼子母善神」の石標、その左横に「赤穂義士墓 當山ニアリ」の石標、その後ろに駒札が立っている。

     
    (写真2)

     
    (写真3)

     (写真2、3)は山門を入って右奥にある本堂で、「本妙寺」の扁額が掛かっている。

     
    (写真4)

     
    (写真5)

     (写真4)は本堂左(西)側の玄関、(写真5)はその左手前にある庫裏である。

     
    (写真6)

     
    (写真7)

     (写真6)は山門を入って直ぐ右(東)側にある鐘楼、(写真7)はその更に東側に西向きに建つ義士堂(宝物館)である。

     
    (写真8)

     (写真8)は義士堂の北側奥にある「矢ツ車留吉碑」である。矢ツ車留吉は明治時代に京都相撲で活躍した力士である。(2015.9.11.訪問)


     

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