0680妙傳寺(Myodenji Temple)

  • 2016.01.09 Saturday
  • 21:04
 妙傳寺(みょうでんじ)は、東大路二条の東南角にある日蓮宗一致派本山の寺院で、洛中二十一本山の一つとなっており、山号は法鏡山、院号は正法華院という。
 応仁の乱の最中、文明九年(1477)に天台宗の学徒であった日意上人(にちいしょうにん)が、甲府 身延山 久遠寺の中興の祖 身延山十一世 日朝上人(にちちょうしょうにん)によって法華宗へ改宗した。
 日意上人は、京都から身延山へ参詣する法華宗信徒たちの不便さを考え、本山の身延山から宗祖 日蓮大聖人の御真筆御本尊と真骨(骨舎利)、身延影現神霊 七面大明神の同木同体の御神体を勧請し、薬屋 妙善の帰依を得て、一条尻切屋町に創建したのが由来である。 日意上人は、身延山十二世の法統を継いでいる。
 その後、西洞院通綾小路に移転し、洛中二十一本山の一つとして繁栄したが、天文五年(1536)に起きた天文法華の乱(法華の一揆)で破却され、堺に避難した。
永禄元年(1558)、旧地(西洞院通綾小路)に再建が勅許され、現在も「妙伝寺町」の地名が残っている。
天正七年(1579)、浄土宗との宗論(安土宗論)で、織田信長によって弾圧を受け、天正十九年(1591)、豊臣秀吉の都市改造政策により寺町夷川に移転したが、宝永五年(1708)宝永の大火で焼失し、現在の地に移転した。

 
(写真1)

 
(写真2)

 
(写真3)

 (写真1〜3)は東大路通に面した山門で、左手前に「日蓮上人御分骨之道場」と刻まれた石標が立ち、左手築地塀の上に「本山妙傳寺」の石標が見えている。

 
(写真4)

 (写真4)は東大路二条の東南角に立つ日蓮上人の立像で、台座には「立正安国」と書かれている。

 
(写真5)

 (写真5)は境内北端にある廟堂で、法華宗 宗祖 日蓮大聖人の遺骨が納められており、「高祖舎利」の扁額が掛かっている。

 
(写真6)

 (写真6)は廟堂と本堂の間、山門正面に建つ鐘楼である。

 
(写真7)

 
(写真8)

 (写真7、8)は江戸時代の宝暦十四年(1764)に再建された本堂で、桁行5間、梁間5間、入母屋造、本瓦葺。「写西身延」の扁額が掛かっている。

 
(写真9)

 (写真9)は本堂の裏(東)側にある客殿で、醍醐三宝院より移築されたという。中央の部屋には須弥檀があり、厨子の中に鬼子母神・十羅刹女が勧請安置されている。また、京都の師走を知らせる南座の顔見世の際、掲げられる大きなまねきは、毎年ここ妙傳寺の客殿にて書かれている。

 
(写真10)

 
(写真11)

 (写真10)は客殿の前方から東向きに撮った境内で、大きな桜の木の後方に西向きに建っているのが庫裏(写真11)である。また、庫裏の右(南)側後方に見えているのが墓地の入口で、一条家・四条家の墓を始め、片岡仁左衛門、七卿落ちの澤宣嘉(さわのぶよし)・四条隆謌(しじょうたかうた)の墓等がある。

 
(写真12)

 (写真12)は境内南端に並ぶ塔頭で、手前(西)から奥(東)に向かって順に妙釋院、円立院、龍嶽院、本光院、玉樹院の五つの支院がある。

 
(写真13)

 
(写真14)

 
(写真15)

 (写真13)は妙釋院、(写真14)は円立院、(写真15)は龍嶽院である。

 
(写真16)

 
(写真17)

 また、(写真16)は本光院、(写真17)は玉樹院である。

 
(写真18)

 (写真18)は本堂の西南前方にある十一代片岡仁左衛門の碑である。(2015.3.30.訪問)

 

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  • 2019.01.22 Tuesday
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