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    1.イスラエル・パレスチナ編 (25)エン・カレム◆ 櫂泪螢△遼問教会−

    • 2011.10.19 Wednesday
    • 14:44


    (写真1)

     (写真1)はバプテスマのヨハネ誕生の教会から出て次の「マリ
    アの訪問教会」の方に行く道を撮ったものである。奥の曲がり角の
    ところに「マリアの泉」があり、ここを右に曲がって山の方へ登っ
    て行くと「マリアの訪問教会」がある。

    (写真2) 

    (写真2)が「マリアの泉」で、今もこの奥の方からきれいな水
    が湧き出ている。

    (写真3)
     

    (写真3)は「マリアの訪問教会」入り口の鉄の門で、かなり階
    段の道を登って行った山の中腹にある。ここはバプテスマのヨハネ
    の父ザカリアの別荘があった所とされ、イエスの母マリアがエリザ
    ベトを訪れたこと(ルカ
    13956)を記念して建てられたという
    ことである。マリアがエリザベトに挨拶した時、その子が胎内でお
    どったと書かれている。

    (写真4)

    (写真5)
     

    (写真4)教会正面を撮ったもので、塔の横の壁面にはロバに乗
    ってエリサベトを訪問するマリアが描かれている。(写真5)がそ
    の拡大写真である。この教会は
    1955年、十字軍時代の教会跡に新し
    く教会が建てられて現在に到っている。この教会もアントニオ・バ
    バロッツイの作である。

    (写真6)
     

    (写真6)は敷地内にあるマリアとエリサベトが会った時の様子
    を表した彫刻である。二人の女性はお腹の大きいことがわかる。背
    後の壁面には沢山のプレートがあるが、これはマリアがこの時に歌
    った「マリアの賛歌」(マグニフィカト)(ルカ
    14655)が
    46
    カ国語に訳されて刻まれたものである。日本語のものも文語訳で
    書かれていた。

    (写真7)

    (写真8)
     

    (写真7)は教会入り口で、マリアの像がかけられている。(写
    真8)は教会の1階を入った正面を撮ったもので、上部壁面にはエ
    リサベツとマリアの再会の絵が描かれている。

    (写真9)

    (写真10)
     

    同じような画が左右の壁面にも見られ、左上(写真9)にはザカ
    リヤが主の使いを見て恐怖に襲われている絵(ルカ
    1823)、
    右上(写真
    10)にはローマ兵が赤子を殺しており、ヨハネは天使の
    導きでこの難を逃れている絵がそれぞれ描かれていた。また祭壇右
    手に洞窟があり、一番奥に深さ5mの井戸が残っていた。

    (写真11)

    (写真12)
     

    (写真11)は祭壇右手洞窟と、その一番奥にある深さ5mの井戸
    の写真である。また、右手壁の前方には、ヨハネを隠すためにスポ
    ンジのようになって覆ったという岩が残されていた(写真
    12)。

    (写真13)
     

    この教会1階の床は(写真13)に示すように飼い葉桶の藁を表わ
    すモザイクになっているのが特徴ということだった。

    (写真14)

    (写真15)
     

    次に、ここを出て階段を上がり、きれいに花の植えられた庭を通
    って、2階の礼拝堂に入った。(写真
    14)が2階礼拝堂の外観と入
    り口である。(写真
    15)は入り口内側から窓枠桟の模様を写したも
    ので、ブドウの実としだの葉のシルエットが美しく、他の窓枠にも
    共通の統一された美しさが目立った。

    (写真16)
     

    (写真16)は礼拝堂内部の写真で、正面の祭壇と壁面のフレスコ
    画は色が鮮やかで明るい感じのする礼拝堂だった。

    (写真17)
     

    (写真17)は礼拝堂の窓側の写真である。(写真15)にあった入
    り口上部の窓と統一された桟の模様が見られ、窓の内側にはやはり
    統一された美しいフレスコ画が見られた。

    (写真18)

     また、この礼拝堂の床は、(写真18)のように鳥、獣、魚、花等
    一つひとつがとても可愛い感じのする絵のモザイクで造られてい
    た。

     

     

    1.イスラエル・パレスチナ編 (24)エン・カレム  歙礼者ヨハネ誕生の教会−

    • 2011.10.18 Tuesday
    • 18:30
     

    エン・カレムはエルサレム南西郊外に位置する山里の町である。
    「エン・カレム」とは“ブドウ畑の泉”の意味である。新約聖書に
    登場するバプテスマのヨハネの両親ザカリヤとエリサベトが住んで
    いた「山里にあるユダの町」(ルカ
    139)はここと考えられてい
    る。まさに山里という言葉がピッタリの緑深き静かなところであ
    る。ここはバプテスマのヨハネの出身地とされ、ビザンチン時代以
    来教会が建てられるようになり、現在は何人かの芸術家が住む小さ
    な村となっている。

    (写真1)
     

    (写真1)は洗礼者ヨハネ誕生の教会の門である。朝早くに行っ
    たので観光客の姿はほとんどなかった。

    (写真2)

    (写真3)
     

    (写真2)、(写真3)が教会で、高い時計塔のあるのが特徴で
    ある。この教会はバプテスマのヨハネが生まれた洞窟の上に建って
    いる。現在の建物はビザンチン、十字軍時代の教会の跡に、
    1855
    に建築されたもので、フランシスコ修道院が管理している。(写真
    3)の後方の階段を登ったところに入り口がある。

      
    (写真4)

    敷地内の壁には(写真4)のようにいろいろな国の言葉で書かれ
    たザカリアの預言(ルカ
    16879)の陶板が掲げられている(ハ
    ングル、英語、スペイン語)(ルカ
    168 「ほめたたえよ、イス
    ラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、
    169 我らの
    ために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。
    170 昔から聖
    なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。
    171 それは、我
    らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。
    172 主は我らの先
    祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。
    173 これは
    我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、
      174
    敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、
    175 生涯、主の御前に
    清く正しく。
    176 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれ
    る。主に先立って行き、その道を整え、
    177 主の民に罪の赦しに
    よる救いを知らせるからである。
    178 これは我らの神の憐れみの
    心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを
    訪れ、
    179 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩
    みを平和の道に導く。」)

    (写真5)

    (写真6)
     

    (写真5)は礼拝堂内部の写真である。正面の祭壇には中央にマ
    リアの像、左にザカリヤ、右にエリサベトの像が飾られている。柱
    はきれいなタイル張りで、その多くはスペインから持ち込まれたも
    のである。祭壇部を近くから見たのが(写真6)である。

    (写真7)

    (写真8)
     

    祭壇の左手地下に(写真7)のような洞窟があり、アーチ型にな
    った入口の上には、ラテン語で「主なるイスラエルの神は頌むべき
    かな。神はその民を顧みてこれを贖い給うた」(ルカ
    168)と書
    かれていた。アーチの上にはヨハネがイエスにバプテスマを施して
    いる絵が架けられ、アーチの下が洞窟の入り口である。絵の部分の
    全体を拡大したのが(写真8)である。

    (写真9) 

    (写真10)

    洞窟内の一番奥の地面には五つ十字架のマークがあり(写真
    9)、そのまわりに「ここにて主の先駆者は生まれた」と記されて
    いた(写真10)。

    (写真11)

     またその上に小さな祭壇が築かれ、ヨハネを抱くエリサベト
    のその名前を書こうとするザカリヤの姿が描かれていた(写真

    11
    )。

    1.イスラエル・パレスチナ編 (23)ベタニア

    • 2011.10.17 Monday
    • 18:20
     

    オリブ山の東の麓にベタニア村がある。「ベタニヤ」という名は
    ベイト・アナニヤ(「アナニヤの家」の意)から来ていると考えら
    れ、バビロン捕囚から帰って来たユダヤ人によって再建された場所
    の一つである(ネヘミヤ
    1132)。新約聖書によれば、ここにマ
    ルタとマリアの家があり、イエス・キリストは度々ここを訪れた
    ヨハネ
    11)。ここでマリアは高価なナルドの香油をイエスの
    足に塗り、自分の髪の毛でそれを拭った(ヨハネ
    123)。また、
    イエスがマルタとマリアの兄弟ラザロを死後4日後に甦らせたの
    も、このベタニアであった。復活したラザロを記念して、ここに
    「ラザロの教会」がある。


    (写真1)

    (写真2)
     

    (写真1)はその「ラザロの教会」である。教会に行く道には
    (写真2)のようなぶどう棚があり、青いぶどうが実っていた。マ
    ルタとマリアの家の庭にもこのようにぶどうが実っていたのではな
    いかと想像させられた。

    (写真3)
     

    (写真3)は礼拝堂内部である。正面祭壇の上にはイエス・キリ
    ストがマルタとマリアを訪問された時の様子がモザイク画で描かれ
    ている。

    (写真4)
     

    (写真4)は左側側面の絵である。マリアはイエスの足下に座っ
    てイエスの話を聞いている。これに対しマルタはその横に立ってい
    る(ルカ
    103842)。

    (写真5)
     

    (写真5)は右側側面の絵である。これはラザロの復活の場面
    で、右側の墓から出て来たのが布を巻かれたラザロである(ヨハネ

    11
    1745)。

    (写真6)
     

    (写真6)は後方の絵である。マリアがイエスにナルドの香油を
    塗っているところである(ヨハネ
    123)。

    (写真7)

    (写真8)
     

    (写真7)は礼拝堂中央のドームを下から見上げたところであ 
     る。また、教会の床に
    は一部(写真8)のような柵がしてあり、そ
     の下にオリジナルのモザイクが保存されて
    いた(オリジナルは6
     紀か
    12世紀。現在の教会は1955)。

    (写真9)

     (写真10)
     

    この教会から少し離れたところにラザロの墓がある。(写真9)
    はそれを示す案内板である。(写真
    10)は教会を出た所からラザロ
    の墓の方向を撮った写真である。人が二人見える少し手前にある黄
    色い看板が墓の入り口である。

    (写真11)

    (写真12)
     

    (写真11)が黄色い案内の表示がある墓の入り口である。(写真
    12
    )に見られるように少し曲がった階段を降りて行く。

    (写真13)

    (写真14)
     

    (写真13)は階段途中の踊り場のような所である。こんな所に献
    金箱がおいてあり、「お墓のメンテナンスのために寄付をお願いし
    ます」という表示が貼られている。ここから更に下に降りて行く階
    段が見える。(写真
    14)は一番深い所に降りて行く細い階段で、人
    一人がやっと通れる狭いものである。

    (写真15)

    (写真16)
     

    (写真15)は階段を降りきって突き当たりを見たところで、これ
    が墓の最深部になり、ここに遺体が置かれていたものと思われる。
    (写真
    16)は最も奥に入って降りてきた階段の方を見たところであ
    る。人が立てる位天井が少し高くなっているが、広さは畳一帖程度
    しかなかったと思う。ラザロはここから甦って出て来たのである。

    1.イスラエル・パレスチナ編 (22)羊飼いの野

    • 2011.10.16 Sunday
    • 18:53

    新約聖書には、羊飼いたちが野宿しつつ羊の群の番をしている
    と、主の御使いがやって来てイエスがベツレヘムに生まれたことを
    告げたとある(ルカ
    2820)。伝承によれば、その場所はベツ
    レヘムの東
    1km、「ベイト・サフル」と呼ばれるあたりで、この辺
    は「ボアズの野」とも呼ばれ、モアブの女ルツがボアズの畑で落ち
    穂を拾ったところでもある(ルツ記)。生誕教会から車で
    15分ほど
    の距離である。

    (写真1)
     

    (写真1)は羊飼いの野に入る門である。門の上には「グローリ
    ア、インエクセルシスデーオ」と「あらののはてに」の歌詞がアー
    チ型に書かれている。

    (写真2)

    (写真3)
     

    (写真2)は門を入ってから教会やグロットのある場所までの道
    である。グロットの前には、(写真3)のような羊飼いと羊の噴水
    があった。

    (写真4)

    (写真5)
     

    (写真4)はグロットの一つである。羊飼いは、夏はテント生活
    をしているが、冬はグロットを利用したようである。中の飾りは勿
    論後でつけられたものである。(写真5)は一番奥の部分の拡大写
    真である。中央に飼い葉桶の中のイエスと馬、その両側にマリアと
    ヨセフ、更にそのまわりに
    3人の博士と羊飼いたちの人形が飾られ
    ている。

    (写真6)

    (写真7)
     

    (写真6)は上記グロットの横にある今一つのグロットで礼拝堂
     になっている。(写真
    7)はその礼拝堂に到る門を入ったところの
     足もとにあるモザイクである。ここにも「グ
    ローリア インエクセ
     ルシスデオ」と書かれている。

     (写真8)

    (写真8)はグロット内部の礼拝堂である。どこかのグループの
    礼拝が行われていた。

    (写真9)

    (写真10)
     

    (写真9)はグロットの近くにあるフランシスコ教会で、アント
    ニオ・バルルッツエの建築である。ベドウインのテントの形をした
    もので、中央のドームの小さいはめこみガラスは天使の現れた時に
    羊飼いたちが見た天の明るい星を象徴している。中に入って見ると
    (写真
    10)のようになっていて、非常に明るい礼拝堂である。

    (写真11)

    (写真12)
     

    礼拝堂の内部には入り口以外の3方向に(写真11)のような絵が
    描かれている。これは馬小屋の中のイエスの誕生を描いたものであ
    る。拡大すると(写真
    12)のようにはっきり人や動物、天使の姿な
    どがわかる。

    (写真13)

    (写真14)

     (写真13)は羊飼いたちに天使がイエスの誕生を知らせていると
    ころを描いたものであるルカ2814)。また、(写真14)は
    羊飼いたちがイエスの誕生を喜んでいる状況を描いたものである。

      

    1.イスラエル・パレスチナ編 (21)ベツレヘム◆ 歙札テリーナ教会−

    • 2011.10.15 Saturday
    • 21:43
      
      (写真1)

      生誕教会の北側には、フランシスコ会の聖カテリーナ教会が隣接
     している。(写真1)がその教会の礼拝堂である。ここでは、毎年

     12
    24日に盛大なカトリックのクリスマス・ミサが開かれ、世界各
     国にテレビ中継される。そして
    1225日から翌年16日まで、こ
     の教会にある生まれたばかりのイエスの像が生誕の場所である生誕
     教会の銀の星の位置に置かれる。

     (写真2)

     (写真3)

    (写真2)が銀の星の位置に置かれるという生まれたばかりのイ
    エスの像である。上はマリアの像である。イエスの像を近くから撮ったのが(写真3)である。可愛い人形のように見える。

    (写真4)

    (写真5)

    この教会にも地下にグロットがあって(写真4)はその入り口で
    ある。このグロットは聖ヒエロニムスの洞窟と呼ばれ、
    4世紀から5
    世紀にかけて活躍した優れた聖書学者ヒエロニムス(
    350
    420
    AD)が、一生を捧げて聖書をラテン語に翻訳したところと言わ
    れている。(写真5)は洞窟の内部である。

    (写真6)

    教会から出た内庭には(写真6)のように彼の石像が立ってい
     た。

    1.イスラエル・パレスチナ編 (20)ベツレヘム  歙乎其飢顱

    • 2011.10.14 Friday
    • 23:17
     

    ベツレヘムはエルサレムから南へ約10km、海抜770mにあるアラ
    ブ人クリスチャンの町で、人口は約
    25,000人である。ベツレヘムと
    はヘブライ語で“パンの家”という意味だという。ここはダビデの
    故郷であり、少年時代に彼はここで羊飼いをしていた。そして預言
    者サムエルから油を注がれて、後にイスラエルの王になった(サム
    16)。ミカ書52にあるように、ダビデの故郷であるこのベ
    ツレヘムからメシアが到来すると民は信じていた。ベツレヘムは言
    うまでもなくイエス・キリストの生誕の地として有名である。イエ
    スを記念するいくつかの教会が建てられ、世界中のキリスト教の巡
    礼者が毎日絶えないようである。ベツレヘムは西岸地区になるので
    国境を越えることになり、帰りにはパスポートの提示を求められ
    た。西岸地区は物価が安く、なんでも半値で買えるということだっ
    た。


    (写真1)
     

    西岸地区に入ると、あちこちに灰色の壁が築かれているのが見え
    た。話に聞いていた壁は実際(写真1)のように刑務所を思わせる
    高いもので、パレスチナ人が反発するのも解かる気がした。

    (写真2)

    (写真3)
     

    (写真2)が有名な生誕教会である。ここは紀元326年、ローマ
     皇帝コンスタンティ
    ヌスによって、イエス・キリストの生誕した場
     所に建てられた教会であるが、この時代
    の建物は全く残っておら
     ず、6世紀のエスティニアヌス帝の時代に今日見られる教会の
    形に
     なったとある。入り口は(写真3)のように非常に小さいところで
     あった。

    (写真4)
     

    中に入ると教会内部はこのような感じで、(写真4)*は祭壇の方
    向を撮ったものである。

    (写真5)
     

    この教会はローマ・カトリック教会、ギリシア正教会、アルメニ
    ア教会の管理下にあり、教会内部にそれぞれの聖域が分かれてい
    る。正面の祭壇(写真5)はギリシア正教会のもので、この祭壇は
    イエスが生まれた洞穴の上に造られており、右手にオリジナルの入
    り口、左手に後で造られた出口がある。

    (写真6)
     

    先ほどの木のパネルの下には(写真6)のように紀元335年に建
    てられたコンスタンティヌス帝時代の教会のオリジナルのモザイク
    床が残っている。

    (写真7)

    (写真8)

    (写真9)

     
    (写真7)は同じ教会内部を前方から後部入り口の方向に向かっ
    て撮った写真で、柱の上の方には十字軍時代の金のモザイクの壁が
    一部残っている。(写真8)がそのモザイク部分を拡大した写真で
    ある。天井は(写真9)のように木造の梁が渡されている。


    (写真10)

    (写真11)

    (写真12)

     (写真10)はイエスの生誕場所がある地下の洞穴への入り口であ
    る。ここから階段を降りて行くと(写真11)のようなイエスの生ま
    れた場所とされる所があり、東方の博士を先導した星に因んだ銀の
    星がはめ込まれている。(写真12)はもう少し近くから撮ったもの
    である。星にはラテン語で、「ここにてイエス・キリストは生まれ
    たまえり」と記されている。この星に14のとがった部分があるの
    は、ダビデからイエスまで14代であることを示しているとガイドが
    説明してくれた。
     

     (注)*出典:Our Visit to the Holy LandMount of Olives Press
                                  Jerusalem


      

    1.イスラエル・パレスチナ編 (19)ヤッファ

    • 2011.10.13 Thursday
    • 13:16
     

    この町はヨッパとも呼ばれ、テル・アビブの南に位置する古い港
    町である。「ヤッファ」の語源はヘブライ語の「美しい」“ヤッフ
    ェ”、もしくはノアの子「ヤペテ」だと考えられている。ソロモン
    王の時代に、ツロの王ヒラムは、エルサレムの神殿建設に必要なレ
    バノン杉をヤッファの港に送った(歴下
    215)。また預言者ヨナ
    は主の前を離れて、この港からタルシシュへ船出しました(ヨナ

    1
    3)。新約聖書の使徒時代、カイザリヤ駐在のローマ軍百卒長コ
    ルネリオの使者が、ヤッファの皮なめしシモンの家の客となってい
    たペトロを訪ね、キリストの信仰を求めた。当時ユダヤ人が異邦人
    と交わることはタブーであったが、ペトロは天からの幻に教えられ
    て出かけた。これがきっかけとなって、異邦人にもキリストの福音
    が伝えられるようになった(使徒
    10)。

     (写真1)

    (写真1)*はオールド・ヤッファを俯瞰したもので、塔のある前
    の建物は聖ペテロ教会と聖ペテロ修道院である。

     (写真2)

    (写真2)*はヤッファからテル・アビブの町を眺めた写真で、手
    前の塔のある建物は
    聖ペテロ教会である。

    (写真3)

    (写真4)
     

    (写真3)は皮なめしシモンの家に行く旧市街の細い道、(写真
    4)は旧市街の中にある皮なめしシモンの家(使徒
    943)であ
    る。ここは、ペトロが伝道した時に宿泊した場所である。イスラエ
    ルで皮をなめす技術は早くから知られていた。皮なめしの仕事は、
    非常に異臭を放つために、ユダヤ人はこの種の職業に好感を持たな
    かったようである。そのため、町を離れた海辺に家を持っていたと
    思われる。しかし、ペトロは職業による身分の差別感を越えて、こ
    のように卑しめられた職業を持つ人たちの中で伝道したのである。
    ある日、ペトロは皮なめしシモンの家の屋上で祈っていると、不思
    議な幻を見た。そして異邦人伝道の御告げを受けたのもこの場所で
    ある(使徒
    10)。現在はザカビアンという人の所有になってお
    り、入り口は閉鎖されて人も居らず、中には入れなかった。


    (写真5)

    (写真6)
     

    (写真5)は皮なめしシモンの家の前の細い道、(写真6)は皮
    なめしシモンの家から港へ出る道である。旧市街の案内図が掲示さ
    れている。


    (写真7)

    (写真8)
     

    (写真7)は港の前の通りで、古い家が並んでいる。(写真8)
    は港の入江につながれている船で、ヨナはここからタルシシュへの
    がれようと船に乗った(ヨナ
    13)。

    (写真9)
     

    (写真9)はヤッファの海岸通りからテル・アビブの町並みを撮
    った写真である。ヤッファの旧市街と対照的な近代高層ビルが林立
    している。当時は栄えた港町も現在はテル・アビブに繁栄を奪わ
    れ、アラブ人の住む小さな町になってしまったという印象を受け
    た。

    (写真10)

    (写真11)
     

    (写真10)はヤッファ・ビジター・センター近くにある聖ペトロ
    教会と同修道院(手前)である。
    (写真11)は聖ペトロ教会を横か
    ら撮った写真である。

    (写真12)

    (写真13)

     (写真
    12)は聖ペトロ教会の礼拝堂である。
    内部が暗いのでわか
    りにくいが、この礼拝堂の祭壇中央にはペトロが天使に食物を与え
    られ、すべて神聖なものだと諭される場面を描いた絵(写真
    13
    )が
    かけられていた。

     (注)*出典:Our Visit to the Holy LandMount of Olives Press       
                Jerusalem

    1.イスラエル・パレスチナ編 (18)カイサリア

    • 2011.10.13 Thursday
    • 12:29

    テルアビブから北へ40kmのところに古代カイサリアの遺跡があ
    る。ここは紀元前3世紀「ストラトンの塔」と呼ばれるフェニキア
    人の小さな町であった。しかし、ヘロデ大王は紀元前
    22年から12
    間かけてここを壮大な港町に改築した。そしてこの町を、ローマ皇
    帝(カイザル)に敬意を表して「カイサリア」と呼ぶようになっ
    た。新約聖書では、ペトロがカイサリアの百卒長コルネリオに伝道
    し、異邦人に初めて福音が伝わったこと(使徒
    10)、使徒パウ
    ロが
    2年間カイサリアに幽閉された後、上訴するためにローマに出
    帆したことも記されている(使徒
    272)。

    (写真1)

    (写真2)

    まず海岸沿いに長く続く導水橋(写真1)のそばで車を降り、地
    中海の波打ち際を少し歩いた。ここは海水浴場になっており(写真
    2)、泳ぎに来ている人達もあった。この導水橋を使って
    15km
    れたカルメル山から町に水を供給していたようである。

     
    (写真3)

    (写真4)
     

    ここから少し離れたゲートのあるところ(写真3)まで車で移動
    し、入場料を払って中に入った。
    中は海岸に面した広大な敷地で十
    字軍時代の要塞、ビザンチン時代の街路跡、戦車競技場の跡、円形
    劇場等沢山の遺跡が残っていた。(写真4)は十字軍時代の要塞跡
    である。

    (写真5)

    (写真6)

     (写真5)のように
    まだ整備されていない放置されたままの遺跡
    も沢山あった。(写真6)は礼拝堂の跡のように見受けられる。

    (写真7)

    (写真8)

     (
    写真7)はヒッポドロームと呼ばれる幅95m、長さ460mの競
    技場跡である。ローマ時代に戦車や馬車の競技に使われ、ベン・ハ
    ーの映画さながらの戦車競技が実際に行われていたと言われてい
    る。
    当時を想像出来るように、(写真8)のような金属で造られた
    戦車を表すオブジェが置かれていた。

    (写真9)
     

    (写真9)はビザンチン時代の総督の公邸にあった浴場の跡であ
    る。

    (写真10)
     

    (写真10)は1960年代、イタリアの調査隊によって発掘された半
    円形野外劇場である。この劇場はヘロデ大王によって建てられたも
    のである、何回も修築工事されて現在は新築されたようにきれいに
    なっている。劇場は直径約
    170mあり、その頂点までの高さは約
    30m
    。当時約4000人は収容出来たらしい。現在でも、夏期にはこの
    劇場で様々なコンサートが開かれる。

    (写真11)

    (写真12)

     この円形劇場と競技場の間の海岸に、ローマ・ビザンチン時代に
    建てられたプール付宮殿跡がある(写真11)。岬のように海に突き
    出た位置に建てられていた様子が伺える。説明書きには(写真12)
    のような復元図が画いてあった。当時はかなり大きい宮殿だったこ
    とが想像出来る。

     

     

    1.イスラエル・パレスチナ編 (17)ハイファ

    • 2011.10.12 Wednesday
    • 20:52
     

    ハイファはエルサレム(75万人)、テル・アヴィブ(48万人)に
    次ぐイスラエル第三
    の都市(39万人)で、工業、技術の町である。
    ハイファとアコウ2つの港がある。アコ
    ウの港は水深が浅く、1941
    年以降は用いられていないようである。ハイファの港は、マ
    ルセイ
    ユ、ジェノヴァに次ぐヨーロッパ第三の港である。ハイファは町全
    体が北から南
    まで27kmにわたるカルメル山(列王下425)の
    上にある。カルは
    garden、エルは
    神を表し、神の庭という意味であ
    る。山の上にハイファ工科大学の塔が見えた。

    ハイファはユダヤ教以外の宗教施設が沢山ある町である。特にバ
    ハーイー教(19世紀半ばにイランでバハーウッラーが創始した一神
    教)
    はここを聖地にしている。

    (写真1)

     (写真
    1)は有名なバハーイー庭園である。入り口でセキュリテ
    ィチェックを受け、内部では
    ガムを噛んだり、飲み食いしたりして
    はいけない等注意されて中に入った。ここからの
    眺望は素晴らし
    く、眼下にきれいに手入れされた庭園が一望出来、その先にはハイ
    ファ
    の港や町全体が広がり青い地中海につながっている。下方にバ
    ーブ廟(バーブはバハー
    イー教の先駆者)のドームが見えるが、予
    約がないとそこまで降りていけないというこ
    とだった。

    (写真2)

    (写真2)は同じバハーイー庭園を下から撮った写真である。

    (写真3)
     
     (写真3)は庭園の近くにあるステラ・マリス教会内部の写真。
    何処かのグループの
    礼拝が行われていた。

    (写真4)

     教会の天井はドームになっていて美しい絵が描かれている(写真
    4)。

    (写真5)

    礼拝の横をすり抜け、講壇奥にあるエリシャの洞窟を見学し、カ
    メラに収めた(写真
    5)。

    (写真6)

    (写真7)

    浅い洞窟で、一段低くなった奥に祭壇があり、十字架とともにエ
    リシャの像があった
    (写真6)。(写真7)がエリシャの像であ
    る。

    (写真8)

    この教会の近くにイエスを抱くマリアの像があった(写真8)。
    また、その近くに
    2007
    年に新しく出来た展望台があり、眼下に地中
    海が広がっていた。

    (写真9)

    この展望台の左手にステラ・マリス・モナステリーの建物が見え
    たが(写真9)、現在
    は閉鎖され、柵があって入れないようになっ
    ていた。この修道院は、
    1799年にナポレオ
    ンがアッコーに上陸しよ
    うと試みた際、フランス兵のために病院として使われたことが
    ある
    らしい。この柵内にエリヤの洞窟があるようだが、ここには軍のレ
    ーダー基地があ
    るため、立ち入り禁止で見に行くことは出来なかっ
    た。確かに地中海に面する半島の先
    端のような位置なので、ヨーロ
    ッパに対しても、レバノンに対してもレーダー観測には最高の位置
    のように思われた。

    1.イスラエル・パレスチナ編 (16)ガダラ、ゲルゲサ

    • 2011.10.12 Wednesday
    • 20:42
     

     (写真1)
     
      マタイ
    82834、マルコ5120、ルカ82639には悪霊に
     とりつかれた人をイ
    エスがいやされる話が出て来る。この人から追
     い出されたレギオンという名の汚れた霊
    は、イエスの許可を得て近
     くに飼われていた豚の群れに入る。その結果、豚の群れはみ
    な崖を
     下って湖になだれ込み、おぼれて死んだという有名な話である。こ
     こで問題なの
    は、この悪霊にとりつかれた人はマタイではガダラ人
     と書かれているのに、マルコとル
    カではゲラサ人と書かれているこ
     とである。また、新改訳聖書のルカによる福音書脚注
    によると「異
     本では『ゲルゲサ人』、『ガダラ人』と書いてある。実際当時の地
     名による
    とゲラサとガダラはともにデカポリスに属する都市であっ
     た。この中ゲラサ(
    Gerasa
    は現在ジェラシュと呼ばれるヨルダン
     の地名で、ガリラヤ湖からは南東に
    40kmほど離
    れており、ガリラ
     ヤ湖と死海の中間に位置する。また、ガダラ(
    Gadara)はヨルダ
     ン北
    端の国境に近い位置にあり、現在ウム・カイスと呼ばれてい
     る。ガリラヤ湖には近いが、
    距離的には湖畔から少し離れた場所で
     ある。従って、現地の感覚ではゲラサは全く当て
    はまらないし、ガ
     ダラも豚が湖になだれ込むにしては少し距離がありすぎるように思
     え
    る。今一つの候補地ゲルゲサ(Gergesa)はガリラヤ湖東岸にあ
     り、ここなら豚が湖にな
    だれ込めそうな位置である。これらの位置
     を地図上に示したものが(写真1)*
    である。

     (写真2)

     

     ガリラヤ湖を車で一周したとき、このゲルゲサの近くと思われる
     ガリラヤ湖東岸に(写
    真2)のような岩山が見られた。写真には写
     っていないが、右手を下ったところにガリ
    ラヤ湖がある。

    (写真3)
     

    この写真の左上の部分を更に拡大して見たのが(写真3)であ
     る。ガイドの説明によ
    るとこの山の中腹あたりに飼われていた豚に
     悪霊が入り、湖になだれを打って駆け下り
    ておぼれて死んだのだと
     いう。(ルカ
    832 ところが、そこの山ベにおびただしい豚の

    群れが飼ってあったので、その豚の中へはいることを許してい
     ただきたいと、悪霊ども
    が願い出た。イエスはそれをお許しに
     なった。
    8
    33 そこで悪霊どもは、その人から出
    て豚の中へは
     いり込んだ。するとその群れは、がけから湖へなだれを打って
     駆け下り、
    おぼれ死んでしまった。)。
     
     (写真4)

      現在湖畔には(写真4)のようにバナナが栽培されていた。

     

     *(出典)http://hajimac.qee.jp/mark012.htm#1-1 Microsoft
           Encarta Reference Library
    2003 を用いて作成されたもの)

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